主な新聞記事まとめ

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発行日 =1999年05月14日  ソース =夕刊
面 名 =1社  ページ =015
発行社 =東京  文字数 =454
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 集団暴行、15歳死亡 傷害致死容疑、少年4人逮捕 埼玉・北川辺
 埼玉県警加須署は十四日、同県北川辺町に住む県立高校生に集団で暴行を加え、死
なせたとして、十七歳から十八歳までの少年四人を傷害致死の疑いで緊急逮捕した。

 逮捕されたのは、いずれも同町内に住む無職の少年二人=ともに十八歳=と、新聞
配達アルバイト(一七)、県立高校二年の男子生徒(一七)の四人。

 調べでは、四人は同日未明、同町■■、会社員飯島■■さん(四五)の長男で県立
高一年友樹君(一五)を、群馬県板倉町のゲートボール場に連れ出し、角材や素手で
殴るけるの暴行を加え、死なせた疑い。友樹君がぐったりしたため、乗用車に乗せて
北川辺町内の東武日光線新古河駅まで移動。救急車を呼んだが、すでに死亡していた
という。

 調べに対し、四人は十三日午後十時ごろ、同町内のコンビニエンスストアに友樹君
を呼びだし、無職少年の一人が所有するバイクを盗んだのではないかと問いつめ、
ゲートボール場に連れだしたと供述している。

 友樹君と四人は中学時代の先輩後輩の関係。同署では、ほかに共犯者がいる可能性
もあるとみて、さらに詳しく調べている。



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発行日 =1999年05月15日  ソース =朝刊
面 名 =1社  ページ =031
発行社 =東京  文字数 =119
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傷害致死容疑、さらに逮捕者 高校生暴行死 埼玉県警加須署
 埼玉県北川辺町に住む県立高校生が、少年四人から集団で暴行を加えられ、亡く
なった事件で、埼玉県警加須署は十四日、暴行に加わっていたとして、新たに群馬県
板倉町に住む工員(一八)を傷害致死の疑いで緊急逮捕した。逮捕された少年は計五
人になった。


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発行日 =1999年05月15日  ソース =朝刊
面 名 =埼玉  ページ =***
発行社 =東京  文字数 =824
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暴行止める者なく 県境の町に衝撃 北川辺の少年傷害致死 /埼玉
 群馬県と境を接する北川辺町で、十三日夜に発生した少年らによる集団暴行事件。
傷害致死容疑で逮捕された少年五人のうち四人は、亡くなった飯島友樹君と同じ中学
の先輩・後輩で顔見知りだった。暴行は三時間近くにわたった。県警の調べによる
と、現場には五人のほかに数人の仲間もいたが、止める者はいなかったという。「普
通の子たちが、なぜこんなことを」。ふだんは静かな町で、住民の間に戸惑いや悲し
みが広まった。

 暴行現場の一つ、群馬県板倉町のゲートボール場は県境からわずか十メートルほど
入った場所。付近の住民は「午前二時ごろ、けたたましいバイクの音がした」と話し
た。

 これまでの調べに対し、少年の一人は「(自分のバイクを)飯島君が盗んだという
うわさを聞いて、問いつめた。殺そうとは思わなかった」と供述しているという。

 調べによると、少年らは飯島君を問いつめた後、同町内の小学校付近で暴行を加え
たとされる。その後、群馬県板倉町のゲートボール場に連れていき、さらに金属バッ
トなどで暴行を加えたとされる。暴行の途中で一人が飯島君に「大丈夫か」と声をか
けると、飯島君は「大丈夫だ」と答えたという。だが、ぐったりした飯島君を北川辺
町の東武日光線新古河駅まで運んだ頃には意識がなくなり、大きないびきをかいてい
た。「そのままにしておこう」と寝かしていたが、息をしなくなったため、驚いて救
急車を呼んだという。全身を殴られており、死因は頭部を殴られたことによるくも膜
下出血だった。

 飯島君の通っていた県立高校の校長は、「飯島君はまじめで、おとなしくて目立た
ない生徒だった。こんなことがあっていいのかという気持ちです」と言葉をつまらせ
た。この日、同校では五時間目の授業をつぶして全校集会を開き、校長が生徒らに事
件を報告。六時間目の授業は行わず、全員を帰宅させた。飯島君と幼なじみだったと
いう二年生の女子生徒は、「信じられない。小、中学校も一緒で仲良しだったのに」
と泣きながら話していた。


 
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発行日 =1999年05月27日  ソース =朝刊
面 名 =埼玉  ページ =***
発行社 =東京  文字数 =1546 
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 孤立恐れ?エスカレート 言い逃れカッと… 少年集団暴行 /埼玉
 「死ぬなんて思わなかった」。取り調べにあたった捜査員に、少年たちは口々にこ
う訴えた。今月中旬、群馬県境に近い北川辺町などに住む少年たちが起こした集団暴
行事件。町内に住む県立高校一年生の男子生徒(当時一五歳)を二時間にわたる暴行
の末に死亡させたとして、十七歳から十八歳の少年五人が傷害致死容疑で逮捕され
た。うめき声をあげる高校生を気遣いながらも殴るのをやめない彼ら。なぜ、歯止め
のきかない暴力にかりたてられたのか。事件の背景に潜むのは仲間から孤立するのを
恐れる不安心理なのかもしれない。

 「お前が盗んだんだろ」

 十三日午後十時。コンビニの駐車場で、少年たちが男子生徒を取り囲んだ。

 少年の一人のバイクが盗まれたのが発端。高校生は否定したが、問いつめられるう
ちに盗みを認めた。少年たちは乗用車などに分乗し、隣町の群馬県板倉町のゲート
ボール場に高校生を連れ込んだ。

 ひとけのない真っ暗な空き地。持ってきた金属バットや角材を手に、高校生の背中
や腹を狙い、入れ替わり立ち替わり殴りかかる。高校生を立たせたり座らせたり。う
つぶせにさせて自転車で踏みつけたり。「大丈夫か」と声をかける者はいたが、「や
めよう」と制止する者はいなかった。

 約二時間後、ぐったりした高校生は、声をかけてもうめき声しかあげなくなった。
意識を戻そうと水をかけたりしたが、高校生はやがて大きないびきをかき始めた。

 「眠っている」と思いこみ、たばこを吸いながら暇をつぶしていた少年たちが異変
に気づいたのは、一人が高校生の脈を取った時だった。息をしていない高校生のはれ
あがった顔にがく然とし、東武日光線新古河駅前まで運んで救急車を呼んだ時には、
空はすでに白みかけていた。

 加須署の調べに対し、少年たちは「言い逃れをされたことにカッとなってやった。
死ぬとは思わなかった」と答えた。亡くなった高校生とは中学が同じで、同じ町内に
住んでいたが、顔見知り程度だったという。

 捜査幹部は「動機よりも、集団で殴るうちに我を忘れてとことんやってしまう。手
加減を知らないから、相手が死んで初めて重大さに気づく。現代っ子を象徴するケー
スだ」と話す。

 ●1−3月で67人

 県警の少年相談専門員の一人は、「何となく集団でやってしまったというケースが
多い」としたうえで、非行に走る最近の少年たちの多くが、「一人になりたくない、
自分を認めてほしいという気持ちを抱えている」と分析する。

 県警少年課によると、強盗や恐喝などの凶悪事件で逮捕された少年数は今年一月か
ら三月までで六十七人。前年を三割以上上回るハイペースだ。放課後から夕方にかけ
て路上や駅、コンビニなどで事件を起こすことが多く、集団で暴力に走るのが大きな
特徴という。

 ○教育が根底に

 評論家の室伏哲郎さんの話 「人を傷つければ痛い」という当たり前のことを教え
なくなった教育の問題が、根底にある。ナイフを使い、竹トンボを作る授業で、手を
傷つけて痛かった思い出がある。しかし、今はこうした工作の時間はない。生徒を真
綿でくるむような教育では、人格は育たない。先生や親の権威がなくなり、子供同士
の横の関係ばかりになる中で、こうした悲劇は生まれる。

 ○身勝手な行動

 原口幹雄・東京家政学院大教授(心理学・元家裁調査官)の話 集団暴行は、お互
いの意思疎通があり、殴ることを途中で止める役割をだれかが果たすことが多かっ
た。最近は群れているだけで、一人ひとりが勝手に行動し、結果として暴力の総量が
大きくなってしまうことが多い。気遣いながらも殴るのを辞めなかった今回の事件
は、こうしたケースにあてはまるのではないか。

 【写真説明】

 駅やコンビニエンスストアの前で、少年たちはしゃがみ込んで話し続ける(本文と
は関係ありません)

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発行日 =1999年06月04日  ソース =朝刊
面 名 =埼玉  ページ =***
発行社 =東京  文字数 =144
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 新たに2少年を容疑者で逮捕 北川辺の集団暴行 /埼玉
 北川辺町に住む県立高校一年生の男子生徒(当時一五)が、少年五人に集団で暴行
を受け亡くなった事件で、県警少年課と加須署は三日、暴行に加わっていたとして、
新たに群馬県板倉町に住む私立高校一年生(一六)と同所専門学校生(一五)の二人
を傷害致死の疑いで逮捕した。逮捕された少年は計七人になった。


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発行日 =2000年05月14日  ソース =朝刊
面 名 =埼玉1  ページ =037
発行社 =東京  文字数 =1988
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無念の母、真実追う日々 北川辺町の少年リンチ死から1年 /埼玉
 「あの子を助けてやれなかったし、かたきも取ってやれない」。積み上げた供述調
書の山を見つめ、北川辺町の飯島京子さん(四三)は声を震わせた。涙が床に落ち
る。くり返し読んだ調書には、何十枚もの付箋(ふせん)が張り付けてある。あれか
ら、もう一年たった。

 (児林もとみ)


 ○見えない捜査

 昨年五月十三日夜、長男の友樹(ゆうき)君(当時一五)は友人とともにバイクを
盗んだととがめられ、所有者の少年らから自宅近くのコンビニエンスストアに呼び出
された。

 そこから小学校体育館、隣町の群馬県板倉町のゲートボール場などを連れ回され、
その間、金属バットや角材などで二時間以上にわたって全身を殴られた。十四日未
明、救急車が着いた時は息絶えていた。高校に入学したばかりだった。

 十五歳から十八歳までの少年八人が傷害致死容疑で逮捕され、一人が書類送検され
た。調べに対して少年たちは「死ぬとは思わなかった」と口をそろえた。少年法に
沿って家裁で審判が行われ、六人が少年院送致、三人が保護観察処分になった。

 京子さんは少年たちの身元を警察で知った。だが、捜査がどのように進んでいるの
かは分からない。

 新聞は少年たちが友樹君に暴行した動機について「(友樹君が)バイクを盗み、う
そをついたから」などと報じた。警察で少年たちが供述した内容を一方的に書いてい
ると感じた。少年法によって加害者は保護されるのに、殺された息子は実名でプライ
バシーを暴かれるのか。悔しかった。

 捜査に納得できない点もあった。例えば、医師が作成した死体検案書は死亡推定時
刻を「十四日午前一時ごろ」としている。だが、少年たちは調べに対して「午前三時
か四時ごろまで生きていた」と主張した。結局、警察は死亡時刻を特定しないまま少
年たちを送検した。


 ○調書読み震え

 家裁の少年審判は非公開で、内容は遺族にも知らされることはない。息子はいつ、
どこで息を引き取ったのか――このままでは事件の詳しい内容はわからないままに
なってしまう。

 少年法など詳しくは知らなかった京子さんが手探りで動き始めた。「亡くなった場
所に線香をあげてやりたい。本当のことを知りたいという一心でした」と振り返る。

 弁護士を通じて少年たちの供述調書を取り寄せた。友樹君の遺体を司法解剖した医
師を訪ね、死亡時刻を再確認した。解剖鑑定書を家裁から入手し、事件について知る
関係者にも直接会った。

 供述調書を読んだ京子さんは怒りに震えた。

 「先輩はすげーぜ。金属バットで殴っている」「チョー気分がよかった。お前も
行って殴ってこいよ」と仲間に自慢した少年。友樹君の服を脱がせて「みんなで笑い
者にしてやった」と話した少年……。無抵抗で死にかけている息子をおもしろがって
殴り続けたとしか思えなかった。

 少年らは「救急車を呼ぶと警察が来る」と通報を遅らせてさえいた。「死ぬことは
わかっていたはずなのに、なぜ、殺人ではなく、傷害致死容疑なのか」。京子さんは
死亡時刻のことも含めて疑問点を警察にぶつけた。警察庁に手紙も出した。

 だが、満足がいく答えは返ってこなかった。応対した警察官には「審判が終わって
から言われても困る」と言われた。

 「遺族が事件の資料を入手できるのは、審判が終わってからなのに」と京子さんは
唇をかんだ。


 ○法の改正訴え

 昨年十月、大阪の「少年犯罪被害当事者の会」を知った。集会に出席し、同じよう
に少年の暴力で子供を亡くした遺族たちと交流が始まった。

 同じ立場の者にしかわからない苦しみや悔しさを打ち明け、励まし合う。遺族はい
ずれも、「加害者の人権だけが守られる少年法はおかしい」という気持ちを持ってい
る。心の支えを得た京子さんは同会の活動を通じて「少年法の早期改正を」と訴え始
めた。

 友樹君の損害賠償についての調停も久喜簡裁で始まった。いずれ民事訴訟を起こす
ことも考えている。賠償金が欲しいのではない。法廷で、本当のことを相手の少年た
ちの口から聞きたいのだ。

 調停のために役場で戸籍謄本を取り寄せた京子さんは驚く。謄本には友樹君が死亡
した事実が記載されていると思っていたのに、コンピューターで処理された謄本は
真っ白で、友樹君の名前はどこにも見当たらなかった。

 「友樹が生きていたことを、事件を、世間に忘れてほしくない」。そう思った京子
さんはいま、インターネットのホームページをつくっている。友樹君の思い出、事件
の概要、そして供述調書や警察とのやりとりなども、インターネット上で公開するつ
もりだ。

 この一年でたくましくなったと自分で思う。でも、苦しみは消えない。体重は十キ
ロ近く減った。「子供を殺されたことは現在進行形なんです。ご飯を食べていても、
洗濯していても、思い出してしまう」

 加害少年たちからの謝罪の言葉は、まだない。