毎日ではないけど・・・

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2000年10月31日 火曜日 23:26:59
 少年法改正案が今日午後、衆議院本会議で賛成多数で可決されたようです。自民・公明・保守の与党3党と自由党・民主党も賛成したようです。共産党・社民党は反対だということでした。

19日に法務大臣に会いに行ったとき、杉浦生健議員・細川律夫議員・西村真悟議員・保坂展人議員・木島日出夫議員に直接会って 「少年犯罪被害当事者の会」 の意見書と個人の上申書を手渡してきました。

 木島日出夫議員は、「少年が否認している事件や、マスコミが大きく取り上げている事件は逆送にしないと世間が騒ぐから逆送にしなければならないけれど、それ以外の事件は現行の審判制度で十分だと思っている」 というような意味のことをおっしゃったので、私は思わず、「著名事件と非著名事件を差別しないでください。命の重さは同じはずです。」 と言いました。
木島議員は、「著名事件と非著名事件を差別しているわけではないから」 と私におっしゃいましたが、釈然としませんでした。

 確かにマスコミが大きく取り上げた少年事件は、逆送年齢に達していれば逆送されるケースが多いと聞きました。記憶に新しい神戸の事件でも、加害少年は14歳で医療少年院送致になりましたが、家庭裁判所は 『審判事由』 をマスコミに公表しました。私たちの場合は審判後、審判事由を代理人を通じて家庭裁判所に請求しても、プライバシーの問題だとかでなかなか難しいのです。

 先日も浦和家庭裁判所に審判事由を請求しましたが、謄写は認められませんでした。簡易裁判所で調停をやっているので、そちらで、『代理人だけに見せる。』 と言われました。なぜ当事者が見られないのでしょうか?加害少年の生い立ちや、家庭環境や、事実認定についてもそれが審判結果に影響するものなら被害者側にも謄写する権利を与えてほしいと思います。 なぜ、少年院送致という審判を下したのか、私たちは真実を知りたいのです。

 板倉町の5人については、前橋家庭裁判所・桐生支部から 『審判事由』 が謄写されました、しかし、プライバシーに関する部分は削られ、「主文」 の中に 『反省の色が見られ・・・』 とありました。家庭裁判所の裁判官一人に対し反省しているような印象を与えればよいわけです。 『反省の色が見られ・・・』 とあった 板倉町の5人は全員社会復帰していると聞きますが、本人からも親からも何の謝罪らしきものはありません。 調停の中でも、一家庭が提示している金額は100万〜300万です。最初から最後まで暴力を振るい 「チョー気分が良かった。お前も行って殴ってこいよ」 と友人を誘ってまた暴力に加わった少年の家庭でさえ、そのような状況です。 誠意というものが全く感じられません。

 先日取材を受けた読売新聞が、きょうの夕刊で記事にしてくださいました。記事の中にもありますように、50年ぶりの改正は一歩前進だとは思いますが、被害者側から見ればまだまだ不公平な法律といわざるを得ません。読売新聞を見てHPを訪れてくださった皆さん、励ましの言葉をありがとうございます。

 少年法は、児童福祉法や刑事訴訟法などとの絡みもあり、少年法だけではなく全体的な見直しが必要だと思います。法律改正だけではなく、子供たちを取り巻く環境の整備などたくさんの問題があります。それらは、どちらかひとつを変えていけばよいという問題ではなく、同時に進めていかなければならない問題だと思います。

 私の住む町では、被害者と加害者4人・呼び出し役や友樹の遺体を運ぶのを手伝ったと思われる関係者も含めると10数人にのぼります。友樹の事件の後、町会議員選挙がありましたが、この問題に触れる立候補者は一人もいませんでした。 「くさいものには蓋をしろ」 的な雰囲気が感じられます。大変残念です。二度とこのような事件が起きないよう町をあげて考えてほしかった。

 私は友樹の事件を友樹の命日に合わせて記事にしてくださった、朝日新聞などを友樹が呼び出されたコンビニや、関係者たちの溜まり場になっているコンビニ、駅にもお願いして貼らせていただきました。 事件を忘れてほしくないからです。ささやかな抵抗かも知れませんが・・・


2000年10月30日 月曜日 19:49:39
 明日31日にも法案が通りそうな気配だと聞きました。 私たちの想いがどこまで届いたものになるのか、とても不安です。 改正したのだからと、また何十年もそのままにならないように継続的な見直しをしていただきたいと思います。


2000年10月27日 金曜日 23:51:27
 裕美子さん、御心配をおかけして申し訳ありません。 このところBBSの書き込みが多く、メールでの御意見がなくなってしまいました。 日記を書こうと思っても言葉が出てこなくて・・・ 確かに19日法務省に行ってから、体もだるかったのですが・・・

 ばいおさん
>:少年法改正の訴えは 「友樹君」 のためにしているのですか。
>:被害者の気持ちとして、今だ納得できない部分が多いからですか。
>:友樹君と同じ思いを、他の子供にさせたくないからですか。
そのすべてです。友樹の事件が起きるまでは、テレビなどで少年による殺人事件の報道を見ても 「かわいそう」 だとか 「気の毒に・・・」 と思ってもやはり他人事でしかなかったと思います。友樹が少年たちに殺され自分が当事者になって初めて、被害者の気持ち・少年法の理不尽さを身を持って知らされました。捜査にも納得できませんでした。 同時に、「これ以上被害者も加害者も出てほしくない。」 と思いました。前にもこのページで書かせていただきましたが、「友樹さんは、何らかの使命を持ってこの世に生を受けられたのでしょう」 と御住職に言われたことがありました。友樹の使命は残酷すぎて私たち家族にとっては耐えがたいものですが、友樹の事件をきっかけにHPをきっかけに少年法のことや、命の大切さなどをたくさんの方に知っていただくことが残された私たちの使命だと思っています。


2000年10月20日 金曜日 0:35:39
 法務大臣に 「少年犯罪被害当事者の会」 としての 「少年法改正案に関する意見書 ( 二次案 ) 」 と個人の上申書を手渡ししてきました。15分しか時間がないといわれましたが、時間をオーバーしても私たちの話を真剣に聞いてくださいました。各政党の議員さんにも何人かお会いして、同じように文章を手渡ししてきました。対応はさまざまです。私たちも全部の要望がいっぺんに反映されるとは思っていませんが、少年法改正を考える場合、議員さんや弁護士さんや司法に携わる方たちだけでなく、もっともっと被害当事者の意見を聞いてほしいと思いました。

BBS の書き込みを見ても、少年法改正イコール厳罰化と思ってる方がまだまだたくさんいらっしゃることに驚きを覚えます。人の命を奪うという最大の罪に対して、罰がないのが現状なのです。 地球より重いはずの命が奪われる、被害者遺族にとって犯人が大人であろうが少年であろうが、関係ないのです。 「相手が少年だから、仕方がないあきらめます」 とは絶対なりません。 人の命に関わる重大犯罪は、少年の年齢に関係なくすべて逆送にして、対審構造の裁判にしてほしいのです。 警察のずさんな捜査も出来なくなるでしょう。 事実認定をはっきりさせることは、加害少年にとっても良いことだと思います。 私たちは人の命を奪った罪に対して、同等の罰を決めてくださいと要求しています。 それが厳罰化なのでしょうか? 少年たちには判決が下ったからといって、すぐに労役を課すのではなく、少年法の理念に基づき、その子に合った更生プログラムを組み、真の更生が出来るよう配慮すればよいと考えます。

吉藤さんのおっしゃる実名報道にしても、被害者の住所氏名、プライバシーも実名で報道するのなら、加害者側も同様にしてほしいのです。現状は加害少年だけが保護され、命を奪われて被害者になると、大事な命だけでなく人権も名誉もプライバシーさえも奪われます。あまりにも不公平だと思います。

記録の閲覧権・謄写も加害者側は無条件にできるのに、被害者側は裁判官の判断次第になっています。加害少年のプライバシーに関する部分はカットされたりします。そこも公平にしてほしいのです。加害者側が無条件にできるのであれば、被害者側にも権利として認めてほしいと思います。


2000年10月18日 水曜日 3:04:33
 19日に法務大臣に会えることになりました。
「少年犯罪被害当事者の会」 としての 「少年法改正案に関する意見書 ( 二次案 ) 」 と個人の上申書を手渡ししてきます。私たちは、被害少年にもせめて加害少年なみの権利がほしい、せめて平等にしてほしいと思っています。以前 「少年犯罪被害当事者の会」 が稲葉法務大臣に提出した要望書は、リンクのページからご覧になってください。今回提出する意見書も、後ほど皆さんにも公開できると思います。賛同していただけるようでしたら、法務省へのメールなどで応援をお願いいたします。


2000年10月15日 日曜日 22:37:17
 私が笑顔でいられたら、友樹も喜んでくれることはわかっているのです。とても優しい子だったから、余計に私が泣いていたら心配していると思います。でももう少し時間が必要です、理屈では解っていても感情がついていかないのです。


2000年10月14日 土曜日 20:14:25
 昼間お墓参りに行ってきました。 毎月13日14日は特別な日です。世の中の人にとってはなんでもない日でも、我が家にとっては一生忘れられない日にちです。 加害少年、関係者たちにとっても、そうであってほしいと思います。


2000年10月14日 土曜日 3:08:12
 友樹が息を引き取ったと思われる時間、ゲートボール場と、S.駅にお線香をあげてきました。 一年五ヶ月が経ったことになります。私にとっては、まだまだ昨日のことのように感じられます。 ごめんね友樹、助けてあげられなくてごめんね。


2000年10月13日 金曜日 0:16:01
 「少年犯罪被害当事者の会」 としての 「少年法改正案に関する意見書 ( 二次案 ) 」 がまとまりました。法務大臣に会う日は、今国会がもめているので大臣の予定が立てにくいとのことで、まだ未定です。個人の上申書も一緒に提出するので私もがんばって書いています。


2000年10月10日 火曜日 3:13:20
先ほど娘を下宿先に送って帰ってきたところです。昼間娘と二人で友樹のお墓に行って来ました。娘が友樹のお墓にお線香をあげに行きたいと言ってくれて・・・

友樹が生まれた時娘は二歳半でした、ちょうど 「やきもち」 という感情が芽生え始めた頃で、産科の病院を退院する時 「赤ちゃんを置いていって」 と泣いて私たちを困らせました。それでも仲の良い二人でした。一つしかないものは半分に分け合っていました。時には喧嘩もしましたが、たわいないものでした。

二人とも身長は高い方でした。友樹が中学二年生になった年、娘を追い越しました。体格もがっしりしてきました。私や娘にはできない力仕事なども友樹は、嫌がらずやってくれました。

当時高校三年生だった娘にとっても友樹の事件は相当なショックだった、娘と抱き合ってワーワー泣いた・・・ まして加害少年の中には、娘の同級生も含まれていた。 関係者もその兄弟も娘の方が良く知っている。 娘がこの土地に住んでいたくないという気持ちは、痛いほど分かる。 娘と離れて暮らすことはすごく寂しい、でも娘の精神状態にとってもその方が良いと思ったし、生きて元気でいてくれればいつでも会えるし声も聞ける。

亡くなった子供のことは頭から離れません。助けてやれなかった、先に逝かせてしまった申し訳なさと、なかなか真実を暴いてやれない申し訳なさと・・・車を運転していても、音楽をかけていても耳になんか入ってこない、想いはいつも友樹のもとへと行っている。 楽しかった思い出も、悲しみになってしまう、運転しながら涙がこぼれる・・・

謝罪にもこない、自分の処分を軽くしてもらいために口裏を合わせたとしか思えない加害少年たちを、楽しんで暴力を振るっていたとしか思えない彼らを、まだ許せるものではない。 彼らが心から自分の犯した罪の意味を理解し、心から反省し、心から謝罪し、心から真実を話してくれた時、そのとき私の気持ちがどう変わるかは分からない。


2000年10月8日 日曜日 2:07:30
 金曜日の夜、娘が下宿先から帰ってきました。久しぶりに親子三人で食事をしました。 四人に戻れないのが寂しいことです。娘には好きな物も作ってやれるし、できることは何でもやってあげたいし応援できることは応援したい。 何より健康で、幸せになってほしい・・・

夜お風呂に入りながら子供たちが小さかった頃のことを思い出しました。 知り合いの化粧品屋さんにもらった泡の出る入浴剤を入れ、勢い良くお湯を出して泡風呂にして娘と友樹と私の三人で泡まみれになって遊んだ楽しかったあの頃。 思い出しては、涙がこぼれます。


2000年10月5日 木曜日 20:54:16
 「少年犯罪被害当事者の会」 代表武さんの御努力により、法務大臣に 「会」 の意見書を手渡しすることができそうになりました。個人の上申書も提出できることになり、今取り組んでいます。
矢島さんこと吉藤さんのおっしゃるように、バイクの窃盗は立派な犯罪行為でありその時点では確かに友樹は加害者でした。 しかし、殺されてしまった現在被害者になってしまいました。 生きていて加害者の立場にいれば少年法で保護され、殺されて被害者になったとたんその保護から外されて人権もプライバシーも守られない。 不公平な法律だと思うのです。

少年犯罪は、親子関係、地域の問題、学校の問題、さまざまな要因があり、それらを改善していかなければならないでしょう。 少年法を改正すれば良いというものではないと思います。でも現在の少年法も見直す点がたくさんあると思うのです。不幸にも被害者の立場になったとき、事実も知らされず、マスコミには加害者の勝手な言い分が警察から発表され、捜査内容に疑問があってもそれが分かるのは審判終了後であり、審判が終わってしまってからでは 「終わった事件」 としてどこも取り合ってくれません。 人は立場が違えば意見が違って当然だと思います。 私は私の立場で上申書を書きたいと思っています。


2000年9月30日 3:47:21
 さん、勇気を持ってメールを送ってくださりありがとうございました。
以前、御住職に言われたことがあります。 「友樹さんは、何らかの使命を持ってこの世に生を受けられたのでしょう」 と・・・ 友樹の使命は残酷すぎて私たち家族にとっては耐えがたいものですが、友樹の事件をきっかけにHPをきっかけに少年法のことや、命の大切さなどを考えていただければ幸いです。 今の私には加害少年や関係者たちを 「一生許せない」 としか思えませんが、いつの日か彼らが心から反省し友樹の仏前に謝罪しすべて真実を話してくれる日が来ることを信じたいと思います。


2000年9月26日 22:46:15
 最近BBSに趣旨から逸脱した書き込みや、加害少年の実名を書き込むなどモラルに反しているとしか思えない書き込みが目立つようになりました。 匿名性がインターネットの良い点でもありますが、意見の交換ではなくなっていると感じられます。 皆さんの良識ある 「少年法改正問題について」 の意見の書き込みをお願いいたします。このような状態が続くようであれば、メールのみでの御意見をいただくようにしたいと思います。

少年法改正と言っても様々な問題があります。現行の少年法は表現があまりにも抽象的であるため、その解釈の仕方によって誤解を受けてきた節もあります。

【第一章第一条 「この法律の目的」
<この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする>
第一条が対象としている <少年> とはどのような少年を指すのか、ということが問題になってくる。法律関係者はほとんど例外なく、<非行のある少年> を対象にしていると解釈している。したがって、<少年の健全な育成を期し> という部分も、非行のある少年のことを指しているととらえられてきたわけである。(中略) <少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件> という文章においては、非行のある少年ばかりではなく、一般の少年も対象に入れていることを考えても、そして日本語の文章の流れからいっても、むしろ第一条の 「この法律の目的」 は三点あると解釈するほうが合理的ではあるまいか。すなわち、「少年の健全な育成を期す」 「非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行う」 「少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずる」 の三点が少年法の目的であり一つめの 「健全な育成」 を期している少年とは少年全体を指す、という解釈である。(中略) とはいうものの、私の解釈にも疑問の余地は残るのだ。明確に規定しようとするなら <この法律は、すべての少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対しては・・・> としそうなものだが、そうはなっていないからである、じつに不可解なのだが、少なくてもいえるのは、この法律の目的を定めた第一条からしてあいまいさを露呈しているにもかかわらず、法律関係者もこうした欠陥を指摘してこなかったということだ。(中略) 健全な育成を期すのは非行のある少年だけだと解釈されてきたおかげで、その非行少年によって被害を受ける立場にいる一般少年のことは、まったく無視されてしまったのだ。むろん少年法は、被害を受けた少年の健全育成はどうでもいい、などと明言しているわけではない。だが、こうしたムードがいつしか少年法に接する人たちに浸透し、実際の運用面でも被害者を打擲(ちょうちゃく) しつづけてきた。学校も警察も検察も家庭裁判所も弁護士もマスメディアも、非行のある少年のことしか考えてこなかった。いい換えると、第一条の 「少年の健全育成」 はこれまで、一般の少年の犠牲のもとに進められてきたわけである。】 黒沼克史著 「少年法を問い直す」 より

少年法改正案が国会で成立しそうだと喜んでいる場合ではないような思いがあります。事件後少年法を読んでも頭に入ってきませんでしたが、黒沼さんの本などを読んでみて改めていろいろな問題を抱えている法律だと感じました。 このまま曖昧な形で改正され、また50年このままということでは困ります。 会の皆さんと必死で考えています。 今まで置き去りされてきた被害者の人権やプライバシー、少年法の中でも明確に 「せめて加害少年と公平に扱ってほしい」 と思うのです。


2000年9月23日 21:00:19
 今日は朝からおはぎを作って友樹にお供えし、主人とお墓参りに行ってきました。家に帰るのを待っていてくれたかのように雨が降り出しました。やはり優しい友樹が見守っていてくれているとしか思えませんでした。

与党の少年法改正案が9月29日に国会に提出され、11月末まで開かれる臨時国会で成立しそうな気配だと聞きました。「少年犯罪被害当事者の会」 にも正式な改正骨子 (案) がようやく手に入りました、「被害者への配慮」 という項目が入りましたが内容的にはまだまだ不十分だとしか言えません。「少年犯罪被害当事者の会」 の皆で意見を出し合い、「会」 としての意見を表明していこうとしております。


2000年9月21日 0:28:15
 お彼岸になりました。
知人からたくさんのお花をいただき、友樹の仏壇にお供えしました。 ここ何日か明け方になると夢を見ます。夢の中で 「早く起きなくちゃ、友樹が学校に遅刻しちゃうから早く起してやらなきゃ」 と思っている自分がいます・・・夢の中の友樹は幼稚園生だったり、小学生だったり・・・ でも、悲しいことに夢に出てくる友樹の顔はいつも見ている写真の友樹。写真の友樹が目に焼き付いて写真以外の友樹が来てくれない。


2000年9月17日 16:08:32
souitiさんへ
>事件の全供述調書と事件概要の詳しい資料を送ってください。
突然そのようなことを見ず知らずの方に言われても、申し訳ありませんができかねます。

>死亡推定時刻は、提出されないままでしょうか。
>携帯電話といい、抜けてる部分が多く判断の裏ずけができないです。

警察は、死亡時刻は特定していません。 副署長の会話の中にもありますように 「何時に亡くなったのかは大した問題ではない」 と片付けています。 携帯電話の何がお知りになりたいのか良く分かりませんが・・・ 少年の携帯電話について副所長は 「任意提出されています。」 とお答えになりましたが、その後家庭裁判所に再度確認したところ 「少年の携帯電話任意提出書は、送られて来ていない」 と書記官から回答がありました。 友樹の携帯電話も、靴も、友樹を包んで置いておいたという毛布もいまだに見つかっておりませんし、通話明細も警察は取り寄せていません。私共が友樹の通話明細をドコモからやっと取り寄せても下四桁は××××でした。警察権を使えば下四桁も分かるとドコモの方に教えられ、警察に調べてくれるようお願いしましたが本気で調べようとはしませんでした。

souitiさんはBBSに書き込みされているそういちさんですか? たとえ供述調書を全部お見せしても公平な判断ができるかは疑問です。 なぜなら彼らは自分の都合の良いことしか言っていないからです。供述調書の中では飯島に申し訳ないことをしてしまったと言っておきながら、謝罪もないし、調停の場でも誠意など微塵も感じられません。 まして、審判は密室の審議です。一人の裁判官と加害少年と加害少年の付添い人(親や弁護士)だけです。 一人の裁判官に対して良い印象・反省しているそぶりを見せればそれで済んでしまうのです。 被害者はその中でどんな会話がなされたのかも教えられませんし、審判結果に対して不服の申し立ても被害者側からはできません。 少年は、1999年1月に傷害事件を起し、保護監察中でした。まして、18歳。 それでも警察・検察は家庭裁判所に送る意見書に 「少年院送致相当」 に○印をつけています。 人の命って何なのでしょう? 友樹が生きていて、加害少年の言分に対して 「それは違うよ。」 と反論ができて、初めて公平な判断ができるのではないでしょうか? 司法解剖の鑑定書を見ても、死ぬまで暴行を加えられていたとしか私には思えません。


2000年9月14日 19:22:17
 今日は友樹の月命日、午前中友樹が好きだった梨やコーラなどを持ってお墓へ行ってきました。その時間その時間今頃は・・・と毎月つらい思い出がよみがえります。でも、友樹は私の想像以上の苦しみを味わったことでしょう、長時間にわたって殴り殺される痛み・つらさ・無念は、計り知れないものだったに違いありません。事件関係者にとっては過去のことになっても、当事者にとっては現在進行形なのです。

 ホームページを開設して二ヶ月経ちました。たくさんの方に訪れていただき、御意見をいただきありがとうございました。これ以上被害者も加害者も出てほしくない! そのためにはどうしたら良いのか皆さんと考えていけたらと思います。 これからもどうかよろしくお願いいたします。


2000年9月14日 0:31:36
 私にとってつらい時間帯になりました。毎月13日の夜から14日にかけて、昨日のことのように事件のことがよみがえります。先程ゲートボール場と新古河駅前にお花とお線香をあげに行ってきました。今頃の時間友樹は、もう虫の息だったことでしょう。それでも暴力を振るい続けた加害少年たちを許すことはできません。まして、何の罰も受けないのですから・・・ 手厚い保護だけなのですから・・・

 国家公安委員会にメールを送ってくださったY.Aさん、各政党へメールを送って下さっているイワセさん、おつらい体験をされ一生癒す事のできない心の傷を負ってしまったさやこさん「少年犯罪被害当事者の会」への寄付をしてくださり、本当にありがとうございます。私も何回か国家公安委員会にも、メールを出しましたがなしのつぶてでした。でも、皆さんが応援してくださればもしかしたら・・・と期待をしてしまいます。どうかよろしくお願いいたします。

>”「少年犯罪被害当事者の会」というものがあるとききました。
>そういった方々を支援する会はあるのでしょうか。
と質問いただきましたが、「少年犯罪被害当事者の会」 を支援する 「会」 はないのです。どこからの支援もないので有志の方々の寄付金で諸経費を賄っております。シンポジウムへの出席などは会のメンバーが時間とお金をやりくりして出かけます。パンフレットの作成などにもお金がかかります。支援してくださる企業などがあれば大変助かるのですが・・・昨日の日記に郵便振替の口座番号を紹介させていただきました。お志のおありの方々はご支援をお願いいたします。リンクのページでも紹介させていただいておりますので、ご覧になってください。国家公安委員会・各政党・個人の国会議員へメールを送るページも紹介させていただいております。よろしくお願いいたします。


2000年9月12日 20:21:10
 今日は、叔父さんの告別式でした。大雨の中にも関わらずたくさんの弔問客で故人をお見送りしてきました。火葬の時、お骨を拾う時、その時その時友樹のことが重なってよみがえりました・・・

私の体を心配してくださり、皆さん本当にありがとうございます。皆さんの温かい励ましのメールが今の私を支えてくださっています。被害者の会への寄付を尋ねられましたので、紹介させていただきます。
「少年犯罪被害当時者の会」 への寄付は、郵便振替 00970−3−113253  少年犯罪被害当事者の会事務局 
「犯罪被害者の会」(あすの会) への寄付は、郵便振替 00170−6−100069  犯罪被害者の会
両会とも有志の方々の寄付金で諸経費を賄っております。お志のおありの方々には今後もご支援をお願いいたします。


2000年9月11日 23:47:27
 親戚で不幸があり実家の母と行きました。私にとっては義理の叔父さんにあたる方です。今日は、湯かんの儀・納棺の儀・御通夜と出席させていただきました。湯かんの儀ではその道のプロの方が手際よく故人の体を拭き、爪を切り、ひげを剃り、親族の手で立派な棺に納棺されました。私は故人には大変申し訳ないけれど、その場にいながら友樹の時のことを想っていました・・・

友樹は遺体で発見されました。
警察には、「司法解剖に回すので裸ではかわいそうだから、葬儀屋をこちらで手配し浴衣を着せ、棺に納めて大学病院に運びますがよろしいですね。」 と言われました。 私たちは承諾をせざるを得ませんでした。 司法解剖が終わって自宅へやっと帰ってきた友樹は、見るからに安物の棺に窮屈そうに首を曲げて入れられていました。もう硬直が進んでいたので、手を組ませてもやれなかったのか、両手は体に沿って伸ばしてありました。 頭の毛は全部剃られ、足元に置いてありました。頭は解剖したので綿で作った三角錦で包まれ、顔は紫色に腫れ、見るも無残な様子でした。

「いったん出すと入れられなくなるから」 と葬儀屋さんに言われ、布団の上に棺に入れられたまま置かれました。 湯かんの儀も、納棺の儀も、親族の手でやってあげられなかった・・・ 動転していた私は、友樹の側で顔を撫でてあげることが精一杯で、顔に白布をかけることも、体の上に刃物を置いてあげる事にも気が回りませんでした。 友樹には最期の最後まで、申し訳ないことをしてしまったとつくづく思い知らされました。ごめんね友樹、安物の棺で窮屈だったでしょう! 友樹の身長に合わせたもっと立派な棺で旅立たせてあげたかった。 不手際ばかりでごめんね・・・


2000年9月10日 22:42:48
中学3年女子さん
 このHPをコピーしてスクラップにする事により、少年犯罪被害者・遺族の現状を少しでも皆さんに理解していただき、少年法のあり方・命の大切さなどを考えていただけるきっかけとなれば幸いです。よろしくお願いいたします。


2000年9月9日 5:04:16
 日本共産党中央委員会からメールが届きました。イワセさん、あおきさん、Y.Aさんはじめたくさんの方々のお陰だと思います。私一人より、二人、二人より三人と多くの方が少年法改正に関心を寄せ、政党などへメールで意見を送る事は決して無駄な事ではなく、大きな力になっていると信じています。「日々、自分が意見した事で、帰って飯島様を苦しませてはいないか、心配しております。」と Y.Aさんがおっしゃっていますが、私にとってとても励みになっております。皆さん、いつも本当にありがとうございます。


2000年9月8日 2:57:41
 遅々とした動きではありますが、少年法改正に向けて政党が動き始めていると聞き嬉しく思います。 少年法を改正しただけでは少年犯罪はなくならないでしょう、けれど多少の抑制になってほしいという事と、あまりにも被害者が置き去りにされている現状を知っていただき、せめて公平に扱ってほしいと思います。 少年法改正=厳罰化と思われる方もいらっしゃると思いますが、「少年院送致」は罰ではなく「保護処分」なのです。人の命を残酷な方法で奪っても、逆送され刑事裁判で判決が下されない限り 罰 はないのです。手厚い 保護 があるだけです。 人を殺した 罪 に対して、罰 がないのが現状なのです。 せめて人の命に関わる重大犯罪は刑事裁判にしてほしい。せめて、罰 を与えてほしい・・・


2000年9月6日 20:15:11
 リンクのページに、17歳の殺人者 という本を紹介させていただきました。社会を震撼させた著名事件と、私たちの息子のように紙面の片隅で報じられた非著名事件では、司法の姿勢が違うそうです。命の重さは同じ筈なのに、同じ少年事件なのに、「犯行の手口が特異だったなどの理由で著名か非著名かに分かれ、司法の扱われ方に違いがでるのはあきらかな差別ではなかろうか。」と著者である藤井誠二さんもおっしゃっています。

今日は大阪に行った疲れが出たのか、だるい一日でした。年を取るにつれ疲れがあとになって出るといわれます。でも、本村さんやたくさんの方からのメッセージに励まされ、またもう少し頑張ろうと思えます。みなさんありがとうございます。


2000年9月5日 19:54:11
 今日は肌寒いくらいの一日でした。留守の間に枯れてしまった仏壇の花を生け、掃除をして一日が終わってしまいました。シンポジウムで知り合った、娘さんを亡くされた方と電話で話しをしました。

時々このホームページを作って本当に良かったのかと不安になります。 友樹はどう思ってくれているのか不安になります。


2000年9月4日 23:47:47
 何日も留守にして申し訳ありませんでした。 娘の希望で遊園地などに寄りながら、大阪へ行ってきました。 「犯罪被害者の会」 (あすの会) のシンポジウムに出席させていただき改めて、マスコミ報道などによって2次被害に遭われている現状、刑事裁判の判決の軽さ、警察の対応・捜査などに対する不満など、犯罪被害者が社会から置き去りにされている事を再認識させられました。大切な肉親を殺された悔しさ・助けてあげられなかった思いなどは同じ・・・ 命は助かっても治療費の請求に困っていらっしゃる方。国は加害者が怪我をしたり病気になったりすれば税金で治療してくれるけど被害者は加害者に支払い能力がなければ、容赦なく病院から高額な治療費を請求される、理不尽なことが多すぎます。「犯罪被害者の会」 (あすの会) の幹事の方がおっしゃっていました。『会の会員数が100名を超えました。この会の目的は会員数を増やす事ではなく、会をなくすことです。それは会の存在が必要なくなる社会・犯罪被害者・犯罪がなくなる社会になるようにする事です。』と・・・被害者・被害者遺族の方は皆さんが、これ以上被害者も加害者出てほしくないと思っています。リンクのページに 「犯罪被害者の会」 (あすの会) があります、ボランティア登録された方は週一回の研修もあるそうです。ぜひアクセスしてみてください。

被害者保護法案が成立しましたがまだまだ十分な法律とは言えず、少年事件については例外とされている部分が多いと聞きました。少年事件は、ほとんどが刑事裁判にもならない現状なども知ってほしいと思いました。御意見に 『皆さん、政党にメール送りません?』 と提案してくださった方がいらっしゃいました、私からもお願いいたします。

今回娘と遊園地でジャットコースターに乗ったり、吉本新喜劇も見てきました。友樹に申し訳ないと思いながらも、娘の希望をかなえてやりたかった、天気予報は雨といわれていた日にもかかわらず遊園地で遊ぶ事ができたのは、きっと友樹が天国から見守っていてくれているからだと思いました。


2000年8月30日 21:19:22
 たくさんの御意見ありがとうございます。もう夏休みも終わろうとしています。 友樹も生きていたら、今頃大あわてで宿題をやっていたのかもしれません。 世の中の出来事、季節、まだまだ遠い世界のことのような感じがします。友樹が生きていたらこうだったかナ、ああだったかナと、いつも友樹中心に考えてしまいます。 世間の人に対しても猜疑心を拭いきれずにいる自分がイヤになることもあります。自己嫌悪に陥ることもあります。 町中で呼び出し役の古屋 が何事もなかったかのように、楽しそうに友人とバイクを乗り回している姿を何回か目にしました。周りではどんどん過去のことになっているのだと改めて思い知らされます。

今夜から娘と関西方面へ出かけます。娘にはこの夏休み何もしてやれませんでした。 娘の喜びそうなところに寄りながら大阪まで行って、9/3 シンポジウムに出席させていただく予定です。帰ってくるまでHPの更新ができないと思います。応援してくださる方大変申し訳ございません。 BBS も管理ができないので、しばらく書き込みができない状態になるかと思います。何卒ご理解の上ご了承ください。


2000年8月29日 23:05:58
a.さん
 私は削除していませんのでご本人が削除されたのだと思います。書き込むとき「削除キー」の欄に半角数字を入れていただき、後で「Sequence No 」 欄に表示されている番号、「Delete Key 」欄にご自分で設定した数字を入力していただき「Delete」のボタンを押していただくとご自分の書き込みが削除できます。よろしくお願いいたします。


2000年8月27日 23:23:01
矢島さん
 取材を受けた時すべて本当のことを話しましたし、供述調書も持っていきました。 一台のバイクを 4人で盗んでしまった事は事実です。このHPに書いてあるとおりです。 しかし、メディアで放送する場合、私は加害少年と公平にしてほしいと思いました。友樹も成長途中の少年だった、4人で一台のバイクを盗み、何故死んだものだけが実名を出されるのか、命を奪われ被害者になったとたん少年法の保護から外される事に理不尽さを感じていました。 二代目に盗まれたバイクに付いてはテレビの放送の通りです。

テレビ局では被害者の立場を考え一代目のバイクの事には触れなかったのだと思います。バイクを盗む事はとても悪い事です。呼び出される原因にはなったでしょう、でも加害少年の供述調書を読む限り楽しんで、関係のない者まで加わって凶器を使い執拗な暴行を加え命を奪った。素手で盗まれた本人が何発か殴るのなら話しはわかります、友樹にもいい薬になったと思います。でも寄ってたかって無抵抗の人間に凶器を使って暴行を加え殺してしまうというのは納得できません。

2000年8月27日 22:16:59
 テレビ朝日・週刊ワイドコロシアムを見て、このページを訪れてくださった皆さん暖かい励ましをありがとうございます。気さくな泉谷さん・温かいスタッフの方々に恵まれ、こちらのプライバシーも守ってくださり、感謝しております。できればこれからも警察のあり方などを取材していただければ幸いです。


2000年8月27日 0:42:07
 突然ヤフーで紹介され、戴いたメールを 「御意見」 へ載せる作業に追われてしまいました。 たくさんの励ましをいただき、ありがとうございました。 たくさんの方から応援していただき、HPは開設したものの自分に何ができるのだろうかといつも悩んでいました。
>今後少年法を改正しただけでは、このような犯罪はなくならないでしょう。
>子供たちを取り巻くたくさんの問題があるのも事実だと思います。
>でも、何かできることから始めなくてはならないと感じています。
と以前このページで書かせていただきました。私は各政党に 「リンクを貼らせていただいた事、少年法改正問題についてどのような考えをお持ちなのか、このHPを見た感想も下さい」 とメールを出しました。 BBSを設置したのは、「少年法改正に皆さんがどのように思っていらっしゃるのか率直でかつ活発なご意見をいただけたら」 と思ったからです。

各政党の方がこのHPを見て、たくさんの方が少年法改正問題に関心があるという事を知ってほしかったのです。 すみません文章の表現がうまくできなくて・・・ いたずらの書き込みがあるかもしれないという事は覚悟の上でした。 このページに 「試験的にBBSを設置しました。」 と書いたのはそういう意味で、あまりにもいたずらの書き込みが多かったら、BBSの削除も止むを得ないかなと思っていたのも事実です。 真剣に書き込みをしていただいている方もたくさんいらっしゃいます。本当にありがとうございます。 今後、「少年法改正問題について」 という趣旨から著しく逸脱していると思われる書き込みに対しては、削除させていただきます。メールでのご意見をお願いいたします。「ご意見」 のページで紹介させていただきます。

2000年8月26日 14:58:02
 突然ヤフーで紹介され、気がついて時には150件ほどのメールをいただきました。 あまりのメールの多さに何事が起きたのか分かりませんでした。 なにぶん私一人で管理していますので、至らない点が多々あると思います。「ご意見」へのアップもまだまだの状態です。皆さまにご迷惑をお掛けして申し訳ございません。 たくさんの励ましをありがとうございます。


2000年8月21日 23:29:16
 9/3(日) 大阪で 「犯罪被害者の会主催第二回シンポジウム」 があります。交通事故・ストーカー被害者の方の生の訴え、そして少年犯罪被害者の方の発表もあります。出席して勉強させていただくつもりです。一般の方も入場できますし、ボランティアの方も募集しているそうです。日時・会場、ボランテイアに協力していただける方いらっしゃいましたら、メール下さい。お願いいたします。


2000年8月20日 15:41:09
 試験的に BBS を設置してみました。 少年法改正問題に関しての活発なご意見をお願いいたします。 なお、今まで通りメールでのご意見もよろしくお願いいたします。


2000年8月20日 0:41:39
 皆さん、ナオキさんありがとうございます。私もできることから何かを始めなくてはならないと思っています。でも、何からどうやったら良いのか、何を皆さんにお手伝いしていただいたら良いのか、自分でもまだ良く分からないのです。本当にごめんなさい。

主犯格の少年たちも、10月には帰ってくるような話しも聞きました。 複雑な気持ちです・・・


2000年8月17日 23:55:34
 お盆で下宿先から帰って来ていた娘に、お盆中忙しくてゆっくり相手をしてやれませんでした。 今日は、娘の買い物に付き合い、一緒に夕飯を作り、私と娘と友樹でハンバーグを食べました。 娘も 「友樹の分」 と言ってハンバーグを作ってくれました。 娘には友樹の分まで幸せになってほしい・・・ 夜、下宿先へ車で送っていきました。 また、寂しい生活になります・・・


2000年8月16日 23:46:26
 皆さん、励ましのお便り本当にありがとうございます。今日友樹はまた向うの世界へと行ってしまいました。
それでも、友樹の魂はいつも私の側にいてくれていると信じたい・・・結局お盆中加害者側からは誰一人として来ませんでした。

今後少年法を改正しただけでは、このような犯罪はなくならないでしょう。子供たちを取り巻くたくさんの問題があるのも事実だと思います。でも、何かできることから始めなくてはならないと感じています。

 私は子供のころから内気な性格でした。人前で話すことも苦手。文章を書くことも大の苦手でした。教室で先生の質問の答えが分かっていても手を上げることができなかった。自分に自信を持つことができませんでした。 友樹も同じ性格でした。 クラス替えがあると、新しい環境・担任に慣れるまで長い時間が必要でした。クラスでも本当に目立たない存在でした。学習塾も行きませんでした。成績も決して良い方ではありませんでしたが、私もムリに習わせたくなかった。本人にやる気が起きた時、やりたい事をやらせてあげたかった。 それが音楽でした。 やっと友樹が自分から 「習いたい」 と言ったのがドラムでした。将来はバンド組みたいと・・・
その夢を無残に奪い取られた。警察の対応・捜査にも納得できなかった。強くならざるを得なかった。それでも、毎日が悲しみとの戦い・・・ 


2000年8月15日 22:55:40
 昨日、今日は親戚の方などたくさん来てくださいました。 明日はもう送り盆、友樹・・・、夢の中でもいい会いたい・・・話しがしたい・・・


2000年8月13日 17:56:02
 昨日深夜ゲートボール場と新古河駅にお線香をあげに行ってきました。 小雨が降っていましたが、ゲートボール場に着いたとたん止んでくれました。 きっと友樹がそうしてくれたんだと思います。

今日はお盆で帰って来てくれた友樹の大好物を作ってお供えしたいと思っています。

高校教師さんへ
ご意見ありがとうございました。友樹の事件が起きた時、「バイクを盗んだ事で呼び出され、問い詰められ、盗んだ事を認めたから暴行された。」と主人と友樹の実名で報道されました。 その報道を見る限り「まるで友樹が一人でバイクを盗んで・・・」と取られるような報道でした。私があえてこのHPで実名で友樹のバイクのことも含めて書いたのは、真実を知ってほしかったからです。 最初の報道は、友樹一人が悪者にされていた。 「一人で盗もうと4人で盗もうと同じだ」 と思われるのであれば仕方ありません。マスコミ報道・現在の少年法が、生きている少年だけを保護している事に理不尽さを感じるのです。 ホームページで自分たちのことを実名で正直に書く事と、マスコミが被害者のプライバシーを勝手に実名報道する事は違うと思うのです。子供を殺された親は毎日が悲しみとの戦いです。何年経てば冷静になれるか、客観的に見られるかなんて、今の私には分かりません・・・

横田有美様
私から有美さんへ返信でメールを出しても戻ってきてしまいます。原因がわかりません・・・ 
義則さんへ有美さんのメルアド送らせていただきました。


2000年8月12日 20:07:23
 先日のフジテレビの放送を見て、このページを訪れてくださった方もたくさんいらっしゃいました。  でも、あの放送は私にとっては納得できないものでした。3日間かけて取材を受け、私の訴いたいことを理解してくれていると思っていた自分が甘かったのです。 私はこのHPでも、マスコミの報道によって被害者がさらに傷つくことも書きました。 友樹がバイクを盗んでしまったことは、本当に悪い事です。それは否定しません。でも、生きていたら絶対実名で報道されることはないのです。 人を殺した人間でさえ顔も名前も報道されないのですから・・・ それなのになぜ死んでしまったら、死んだ人間のマイナス部分まであえて実名報道する必要があるのでしょうか? 「ホームページを開設したことを取り上げたい」 という趣旨であれば、わざわざ 「バイクを盗んだから呼び出された」 と言わなくてもこのHPにすべて隠さず載せています。フジテレビから取材を受けたことを後悔しました・・・

横田有美様
もう一度ご連絡ください。 お願いいたします。


2000年8月11日 21:36:23
 もうすぐお盆、友樹が帰って来てくれるのですね。姿は見えない、声も聞こえない、それでも帰って来ていると信じたい。 でも、やっぱり顔も見たい・・・ 声も聞きたい・・・


2000年8月7日 23:25:09
 リンクのページに各政党のホームページなどを載せました。各政党・法務省には、少年犯罪被害者遺族としてHPを開設し、リンクを貼ったこと、少年法改正問題についてどのような考えを持っているのか聞きたい旨メールを出しました。回答をホームページで紹介させていただくことも書きました。「少年犯罪被害当事者の会」 では、法務大臣に少年法改正の要望書を提出しています。少年法改正に反対している日弁連の方たちとも、話し合いの場を設けていただいて被害者の現状を訴え、理解していただけるよう頑張っています。教えて下さい。私にできることを・・・ どんな行動を起していけばよいのでしょう? つらい現実を訴え、少年法の理不尽さを訴え、「少年犯罪被害当事者の会」 の皆さんと共に頑張っているつもりです。具体的に何をして行けば良いのでしょう? 教えて下さい・・・


2000年8月6日 18:17:57
 友樹の最期の言葉が 「お前ら、全員ぶっ殺してやる」 と言って息を引き取ったと聞いた時、あの優しくておとなしい友樹がそんなことを言うからには、よほど悔しかったのだろうと思いました。友樹に 「毎日彼らの枕もとに立って、呪ってやりなさい」 と言いたかった。呪って呪って、彼らが恐くなって本当のことを白状するまで呪ってやりなさいと・・・ でも、そんなことを友樹にさせたら、友樹は成仏できないのではないかと思いました・・・ 友樹には安らかな心になって、成仏してほしかった・・・ 供養になることはすべてやってやりたかった・・・ 「友樹、どうか心安らかに・・・、ママがいつか必ず敵を取ってやるから・・・友樹は心安らかに見守っていてね。」

リンクのページに 「少年犯罪被害当事者の会」関係出版 を紹介させていただきました。 今私も、「少年法を問い直す」 を読ませて頂いています。なかなか頭に入ってこないのが自分でも情けないのですが・・・


2000年8月5日 15:06:24
 今日夕方から近くの渡良瀬遊水地で花火大会が開催されます。以前は昼ころから、おいなりさんや海苔巻などたくさん作って家族で出かけました。頭上に大きく花開く花火を、歓声を上げながら見ていた友樹の姿が思い起こされます。もう夏祭りも花火大会も無縁のものとなってしまいました。 花火大会といえば、私が子宮ガンで大学病院へ入院していたとき主人に連れられて友樹たちも病院に来てくれました。手術後まだ間もない時で起き上がるのがやっとでした、そのときまだ小学校三年生だった友樹の小さな手が私の背中を一生懸命支えてくれていたのです。本当に心の優しい子でした。その日も花火大会でした、雷が落ち花火大会が中止になったと後で聞かされました・・・。

MOONさん、できればどんな模擬裁判をやるのか、詳しい設定を教えていただければ何かお役に立てるかも知れません。よろしくお願いいたします。


2000年8月4日 22:53:30
ご意見ありがとうございました。
匿名さんへ
ページの中、また以前の日記で書きましたが、私は友樹がバイクの盗難に関わっている事は事件当日まで知りませんでした。主人から何も聞いていなかったのです。友樹が生きているうち私がその事を知っていたなら、友樹を叱ったでしょう、自分の物が盗まれたらどんな気持ちかよく考えるように言ったと思います。また、親子で謝りに行っていました。こんな事に成らずに済んだのです。経済的事情とはいえ土日家に居なかった事を悔みました。決して、「自分の息子が悪い事をしていない」 などとは思っていません。友樹は呼び出されバイクの事を聞かれ、自分たちがやった事を認め、謝ったそうです。でも、加害少年達の供述によれば 「態度が気にくわない」 などの理由で、無抵抗の友樹を二時間以上に渡って金属バット等で殴りつづけ死亡させたのです。それも楽しんで暴力を振るっていたとしか思えない供述でした。 私には、友樹は十分すぎるほどの罪の償いをさせられたとしか思えないのです。

無残な殺され方をした息子に、死んでまで 「お前が悪い事をしたからだ」 と私には言えません。 友樹はすごく内気な性格でした。要領良く立ち回れる性格ではありませんでした。金属バットを持った先輩たちに呼び出され、恐怖感で謝る言葉も小声になったかも知れません、それが 「態度が気にくわない」 と取られたのかも知れません。 あなたはバイクの窃盗も殺人も「モラルの問題だ」とおっしゃいました。果たしてそうなのでしょうか? 人の性格は様々です 「励ますつもり」 で強気に書かれて傷つく人もいるということも分かってください。

2000年8月4日 2:55:54
 色々なご意見ありがとうございます。友樹の事件の後も凶悪な少年犯罪が多発しています。少なくても彼らは 「自分が少年法で守られている」 ことを承知で、人を人とも思わないような残虐な事件を起しているとしか、私には思えません。 彼らは 「人を殺したら大人と同じように裁判にかけられ、死刑の判決を受けるかも知れない」 となっていても同じようなことをしたでしょうか?
匿名さんからの意見を何度も読ませていただきました。お願いです、友樹のことを悪く言うのはやめてください。育て方が悪かったと私を批判されるのは我慢できます、自分でも親として失格だと思っていますから・・・ 私はこのホームページを作る際、友樹の不名誉なバイクのこともすべて書くか少し迷いました。でも、その事を隠しては真実は判っていただけないだろうと思い、すべて自分たちは実名で事実を隠さず書いたつもりです。少年法については、この法律が被害者・被害者遺族にとって、いかに理不尽な法律であるか知ってほしかった。 捜査状況も、自分の息子がどんな最期を迎えたのかさえ知らされないのです。加害少年の人権・プライバシーだけが守られる。 せめて公平に扱ってほしいと思いました。 確かに、匿名さんのおっしゃるように、少年法を改正しただけでは問題は解決しないと思います。私もこれ以上被害者も加害者も出てほしくありません。そのためにはどうしたらいいか、色々シンポジウムなどへ参加させていただき、私にできることをやって行きたいと思っています。

未成年者皆が匿名さんと同じ考えなら 「少年法」 は必要ないのではないでしょうか? 私が匿名さんに期待することは、人は立場によって意見の相違があるのは仕方ない事ということです。自分の意見がすべて正しいとも思っていません、でもそれはあなたにも言えることではないでしょうか? 少年被害に不幸にも遭ってしまった者とそうでない者、現実を知らず理想論だけを掲げていてもそれこそ何の解決にもならないと思います。息子を殺された被害者遺族は、本当は何もしたくないのです。ご飯も食べたくない。ずっと家にこもって泣いていたい。今更少年法が改正されたところで自分達の事件は、終わってしまっているのです。それでも、こうして現状を訴え少年法の理不尽さを少しでも皆さんに知っていただき、より良い社会になってほしいと思うから、会の皆さんも頑張っているのです。どうか、ご理解ください。


2000年8月2日 22:22:09
 いつも励ましのご意見を頂きありがとうございます。 「応援してくださっている方が世界にたくさんいてくれる」 と思うと本当に励みになります。 暑くてよけい食欲もなくなりますが、食べなくては体が持たないと思い、飲み物で流し込むようです。 今夜は 「うどん」 にしました。仏壇の友樹と二人きりの食事です。あんなにたくさん食べてくれたのに仏壇に供えても、ちっとも減ってくれない。当たり前だと思われるかもしれませんが、それがすごく悲しいのです。 天国から手を伸ばして食べてほしい・・・ 少しでも減ってほしい・・・

7/30NOL さんから頂いたご意見に、「少年法六十一条で、顔や名前を報道していけないとされているのは、家庭裁判所の審判に付された少年です。友樹君のケースでは、既に死亡しているので家庭裁判所の審判に付される可能性が無く、実名で報道しても少年法において問題はありません。道義的問題はあるかもしれません。」 とありました。 私はそれが理不尽な法律だと思うのです。友樹も 15 才で 「成長過程」 の未来ある少年だったのです。死んでしまった者は少年法の保護から外され人権もプライバシーも奪われる、加害少年だけを保護するのではなく、せめて公平にしてほしいのです。

このところ、テレビ局の取材が何件かありました。テレビ局で加須警察へも取材申し込みをしたそうですが、「終わった事件だから」 と取材拒否されたそうです。やましい事がないのなら、堂々と釈明すべきだと思います。私は、 「国家公安委員会」 にも何回もメールを出し、加須警察の対応に納得いかない事を訴えましたが、何の返答もいただけませんでした。埼玉県警・警視庁・警察庁、どこも相手にしてくれませんでした。私は、納得のいく回答がほしいのです。

尚、ヤフーでこのホームページの紹介文が 「栃木県リンチ殺人事件で長男を亡くした母による手記。 」 とあるようですが、全然別の事件ですので誤解のないよう、お願いいたします。


2000年7月31日 1:50:21
 29日は 「少年犯罪被害者の権利の確立を求めて」 シンポジウムに出席してきました。 30日は、「少年犯罪被害当事者の会」 と日弁連との懇談会がありました。 少年法改正に反対している日弁連の弁護士さんは、まだまだたくさんいらっしゃいます。懇談会に出席してくださる方は、まだましな方だと思いますが、そのような弁護士さんに、私たちが経験してしまった悲しい事実を話し、少しでも現状をわかってほしかった。 「成長過程にある少年の立ち直りを支援するという少年法の理念」 は、すばらしい理念だと思います。でも、私たちの子供たちも 「成長過程」 であったし、人権も将来の夢もプライバシーもあった、なぜ殺されて被害者になったとたん、一つしかない大事な命だけでなく、人権もプライバシーも奪われてしまうのでしょうか?なぜ、せめて平等に扱ってもらえないのでしょうか? 限られた時間のなか、私たちは精一杯の思いをぶつけてきました。これからも、そのような場所があれば出向いて、どうしたらこれ以上被害者も加害者も出なくなるような社会にできるか、微力ながら皆さんと考えていきたいと思っています。 去年の今頃は暑かったのか、どんな花が咲いていたのか、全く記憶にありません。灰色の世界です。話しを聞いてほしくても感情が先走り、言葉になりませんでした。一年が過ぎ、やっと言葉に出して喋れるようになりました・・・。

この二日間の間に 180 件のいたずらの書き込みがありました。残念なことです。言いたいことがあるのなら、いたづらという卑怯なやり方でなく、正々堂々と意見を送ってほしいと思います。


2000年7月29日 1:47:57
 私は友樹のホームページを開設する時、たくさんの方から意見をいただきたいと思い、OCN提供のフォームCGIメールを利用させて頂きました。警察の対応に対するご意見、少年法改正問題に対するご意見、たくさんの励ましのご意見、本当にありがとうございます。 しかし、最近いたずらの書き込みが多く困っています。昨夜から今までにも、120件のいたずらがありました。 ご自分のメールアドレスを記入しないで送信しても、IPアドレスは送られてきます。今、OCNに相談し、IPアドレスから送信者を特定して頂いています。もし、この日記をご覧になっていましたら、これ以上のいたずらはご遠慮ください。私は名前も実名で出しています。HPの内容や、私がHPを開設したことで、何かご意見・ご不満等がありましたら、堂々と、文章にして、送ってください。お願いいたします。

飯田啓子
 お気遣いありがとうございます。
日記の中でも書きましたが、私が友樹のHPを作りたいと思ったのは、事件が風化するにつれ「友樹が15年間生きていたこと」まで忘れられてしまいそうで恐かった。 実際HPを公開してみて、反響の大きさに少々戸惑っているのが本心です。色々な意見をいただきました。 HP作成に対するご意見、HPの趣旨は何かということや、私の育て方が悪いからこうなったと言う方・・・ 色々なご意見に一喜一憂していました。 でも、ある方のご意見に 「もっと強く自信をもって、これからもこのHPを公開して行ってください。」 とあり、救われたような気持ちになりました。やはり、人は同じ立場に成らない限り、本当の気持ちは理解することは困難だと思います。 「少年犯罪被害当事者の会」 の皆さんと話しをして、お互いの心情を分かり合えることもたくさんありますが、我が子を少年達の理不尽な暴力により殺された、同じような立場にいる人でさえ、それぞれの環境や状況、相手の対応などにより考え方も微妙に違うこともあります。同じ立場の人でさえ、本当に相手の気持ちを理解できているのか、と自分でも不安になることがあります。私が相手に言った言葉で、もしかしたら、傷つけてしまったかと・・・でも、共通しているのは、現在の少年法は被害者・被害者遺族にとって、とても理不尽な法律だということです。私も何回かシンポジウムに参加させていただき、色々教えていただきました。これからも会の活動にはできるだけ参加し、自分に何ができるのか、考えていきたいと思っています。 今までは、「とにかく友樹のホームページを作る」 ことで自分を支えてこれたと思います。私は私なりのやり方で、友樹にやってあげられることを、これからも続けていきたいと思います。 また、ページを訪れて感じた感想などを送ってください。宜しくお願いいたします。

2000年7月27日 1:30:56
 私の体を心配してくださる皆さん、本当にありがとうございます。皆さんからいただいた、貴重なご意見をアップすることが、今の私にできる精一杯のことと思います。お一人お一人にお返事出せなくて本当に申し訳ありません。「少年法改正問題」も、 「少年犯罪被害当事者の会」 を支援してくださっている弁護士さんたちを通じ、日弁連の方々とも、話し合いの場を設けていただき、皆さんからのご意見を無駄にしないよう伝えていきたいと思っています。

ホームページを開設したことで、テレビ局や週刊誌の方からの取材申し込みをいただきました。「こちらの事情を理解し、興味本位の取材ではない」 と判断させていただいた方から、取材を受けました。慣れないことで、多少疲れ気味です。でも、一人でも多くの方に訪れていただいて、率直なご意見を送っていただきたいと思います。できれば、埼玉県警・加須警察署・警視庁・警察庁、家庭裁判所に携わっている方・このような事件を起こした少年が入っている少年院の方・保護司の方、法医学に詳しい方などのご意見もいただきたく思います。

051.21歳の学生 さんへ
 あなたのご意見もずっと気になっていました。メールを返せず申し訳ありません。親にとって子供はみんな可愛いし、宝物です。私も長女と友樹、どちらもかけがえのない宝物でした。長女も友樹の事件で相当のショックを受けました。加害少年が長女の同級生と、一つ上の学年でしたから、友樹とは面識がなくても姉である長女とは、お互い顔を合わせれば、わかってしまいます。暴力団員の陰もチラホラしていましたし、今度長女にまで危害が及んだら、私は生きていけないと思いました・・・。長女の学校に事情を話し、携帯電話と防犯ベルの所持を許可していただき、事件後は毎日送り迎えしていました。娘の前では涙を見せないよう、なるべく明るく振舞いました。今年、大学へ入学し下宿しました。本人の希望で・・・。毎朝モーニングコールしています。娘には友樹の分まで幸せになってほしいと願っていましす、娘のためにしてやれる事は何でもやってやりたいと思っています。 でも、亡くなった友樹のためにも、できるだけのことをやってやりたいのです。 あなたのご両親もきっと同じ気持ちだと思います。亡くなったお姉さんの影に怯えることなく、幸せになってほしいと思います


2000年7月23日 21:50:06
先ほど、HP上のメールデコードから送信されてきたご意見の中に、一部文字化けしている物がありました。ご本人様がご覧になって、もう一度送ってくだされば、差し替えたいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。


2000年7月23日 16:01:55
 励ましのご意見・ホームページ作成に対してのお叱り等もいただきました・・・。
私が 「友樹のホームページを作りたい」 と思ったのは昨年の秋でした。調停申立ての際、弁護士が戸籍謄本を役場から取り寄せました。コンピューター化された現在、単に 「戸籍謄本」 と請求すると、今生きている者の名前しか出てこないのです。友樹の名前も、いつ生まれ、いつ亡くなったかも、まるで記載されていませんでした。ショックでした・・・。事件が世間の人に忘れられたら、友樹が15年間生きていたことまで忘れられてしまうようで・・・
 確かに、友樹が友人4人で一台のバイクを盗んでしまったことは事実であり、親の責任です。弁解の余地もありません。まして、経済的事情で土日仕事に出ていた私は、事件当日まで友樹がバイクを盗んでしまった事を知りませんでした。 本当に悔みました。仕事なんか行かず、もっとしっかり子供たちを見ていたら、バイクを盗むなんてことはしなかったかもしれないし、もし、盗んでしまっても警察に相手の方の氏名を聞いて親子で謝りに行っていました。こんな事にならずにすんだと思います。 何度も何度も悔み友樹に対して申し訳ない気持ちで・・・ 主人に対しても、バイクのことで一緒に警察に行っていながら、親の責任を果たしてやらなかったことを責めました。 自分を責め、お互いを責め、家庭もめちゃくちゃになりました・・・ でも、たとへバイクを盗んだからといって、「暴力を振るっていい・金属バットで死ぬまで殴っていい」 と云うことは、絶対にないと思うのです。

私がパソコンを使い始めたのは友樹の事件の少し前です。ホームページを本格的に作るのも、これが始めてです。説明書とにらめっこしながら、泣きながら文章を打ち込みました。セナのピアノ曲も、娘に 「あなたの側に・・・」 と言う意味なんだよ、と教えられ 「友樹といつも一緒にいたい」 と思い、BGM に使わせていただきました。 この一年、友樹のHPを作ることで、何とか自分を支えることができました。 HP作成に対して、先輩諸氏からのアドバイスは厳粛に受け止めたいと思います。


2000年7月22日 1:51:51
 今日もたくさんの励ましをいただきありがとうございました。このページが新聞で紹介され、皆さんが応援してくださるおかげで、また頑張れそうです。お一人お一人にお礼のメールを出せなくて、本当に申し訳ありません。何人かの方のメールにありましたが、このページにリンクを貼っていただける事は、大変ありがたいことです。どうぞ宜しくお願いいたします。できれば、警察関係者の方のご意見もぜひ聞かせてください。

今日は、友樹の高校の担任の先生が友樹にお線香をあげに来てくださいました。 夏休みになった報告をしに、御忙しい中来てくださいました。 いつも、友樹のことを心に止めていてくださる先生には感謝の気持ちで一杯です。


2000年7月21日 5:40:26
 たくさんの励まし・ご意見、ありがとうございました。やっと、今 「御意見」 にアップできました。 内容につきましは、これからゆっくり拝見させていただきます。


2000年7月20日 2:58:55
 一児の父親さん、ありがとうございます。
私は自分が当事者になるまで、「少年法で加害少年が守られている」 と漠然とは知ってはいても、詳しい内容については、何一つ知りませんでした。息子が少年達に殺され、混乱した頭で少年法を読んでみても、理解することは困難でした。でも、被害者・被害者遺族にとって、いかに理不尽な法律か身を持って体験しました。奥様が大学で少年法を専攻していたとのこと、ぜひ奥様のご意見も聞かせてください。お願いいたします。


2000年7月19日 22:11:30
 友樹は、食べ物では肉類が好きでした。焼肉・から揚げ・ハンバーグ・カレー、何でもよく食べてくれました。 牛乳やコーラ、どら焼きも好きでした。ですから、お墓へ行く時には、どら焼きとコーラは欠かせません。音楽も好きでした。 バンドを組みたいとの夢があったようで、毎日ドラムの練習をしていました。 コンサートへもよく出かけました。 好きなアーティストは、SHAZNA・ Every Little Thing・Toshi・Dir en grey・PIERROT などでした・・・部屋には、Dir en grey と PIERROT のポスターがたくさん飾ってあります。これからもたくさんのコンサートに行きたかったでしょう・・・。やりたいこともたくさんあったでしょう・・・。

高校ではブラスバンド部に入部しました。今、高校野球の地方予選が行われています。先日友樹の高校の野球部が 「まだ一度も一回戦で勝ったことがない、いつもコールド負けをしている」 と、某テレビ局で取り上げられ放送されたようです。華やかな表の部分だけでなく、昨年同じ高校でこんな痛ましい事件があったことや、友樹も生きていればブラスバンド部員として野球部の応援ができたはずです、そこまで掘り下げて取り上げてほしかった・・・。


2000年7月19日 1:14:06
ナオキさんへ
友樹も動物は大好きでした。 犬・猫・熱帯魚・インコ 学校から帰ってくると、まず動物たちに餌をあげてから遊びに行く子でした。猫は 3匹いましたが、内一匹は友樹の告別式の次の日、近所のお宅の庭で死んでいるのが発見されました。きっと、友樹が寂しくないように、ついて逝ってくれたのだと思います。 犬の名前は、「ジョイ」 と言います。優しい性格でだれが来ても吠えたりしません。尻尾を振って喜んでいます。 7/13 ジョイが 4 匹の赤ちゃんを産みました。


2000年7月18日 22:13:39
ナオキさんへ
前、メールをいただいた時、「日記・報告」のページで、ナオキさんにお願いしました。友樹にはお兄さんがいません。ナオキさんのお気持ちとても嬉しく思っております。どうか、何度でも友樹に話し掛けてやってください。お願いいたします。やさしいお兄さんができて、友樹もきっと喜んでいると思います。

丸谷さん、Y・Hさん、子供に先立たれることほど親としてつらいことはありませんよね.。なかでも、一番つらかったのは 「泣いたらダメよ、泣いたら友樹くんも悲しむから・・・」 と知人に言われた時。理屈では分かるけど感情がついて行かず、苦しみました・・・。 そんな時、武さんに 「自然でいいのよ・・・泣きたい時には泣いて、嬉しいときがあったら素直に喜べばいい。 子供のために泣いてやれるのは親しかいないのだから・・・」 と言われて、心が軽くなりました。 


2000年7月18日 11:22:08
丸谷さん、おつらい中メールをいただき、ありがとうございます。 康政さんの御冥福を心よりお祈り申しあげます。警察への不信・子供が残した思い 本当に今、訴え・伝える場所がありません。私共のページでよろしかったら、何時でもどんなことでも訴えてください。私も、武さんには大変お世話になりました。(今でも・・・) 丸谷さんのおっしゃるように、友樹は暴行されている間ずっと心の中で私に助けを求めていたと思います。その叫びを感じ取ってやれなかった・助けてやれなかった自分が情けなくて・・・友樹に申し訳なくて・・・。 どんな想いで一人で冷たい土の上で息を引き取ったかと思うと、かわいそうで 『寂しいだろうから、側に行ってやりたい』 と毎日毎日思っていました。そんな時武さんと知り合い、励まされ、今の私があります。頑張って、息子たちの想いを伝えていきましょう。


2000年7月17日 13:34:13
 TOMOさんへ、メールありがとうございました。私も最初の子供を流産しました。 やっと妊娠できたのに・・・その時もすごく悲しかった。TOMOさんのお気持ちとても良くわかります。できれば、リンクお願いいたします。

ナオキさんへ、友樹にはお兄さんいません。 どうか友樹に話し掛けてやってください 私も写真の友樹にしか、話し掛けられませんが、毎日毎日いろいろな表情の友樹の写真に話し掛けています。どうかお願いいたします。


2000年7月16日
 今日さっそく、毎日新聞の犬飼さんがホームページのことで取材に来てくださいました。私は事件直後マスコミが恐かった・・・。 友樹を一方的に悪者扱いした報道に怒りを覚えました。でも、なかには被害者の立場・現状を理解し、二度とこのような事件が起きないよう、こちらの言いたい事をきちんと記事にしてくださる報道関係者もいることを知りました。 きっと友樹がめぐり合わせてくれたのだと思います。
朝日新聞の児林もとみさん・毎日新聞の犬飼さん・読売新聞の小松さん、これからも、置き去りにされてきた被害者・被害者遺族の現状を少しでも皆さんに分かっていただけるよう、そして、これ以上被害者も加害者も出ないようご協力をお願いいたします。


2000年7月16日 4:32:34
 RISAKO さんからの質問について・・・
・警察の方々は、この事件についてどのように思ってるのか?
・少年達(加害者)は、この事件についてどう思ってるのか?
・これからこのような事件を起こさないようにするにはどうしたら良いか。 

むずかしい質問です。
・私自身警察が友樹の事件をどう思っているのか、本当のことを聞きたいです。
警察は友樹の遺体を司法解剖に回すさい、解剖鑑定項目、というのがあるのですが、(HPの中でも解剖報告書を載せてあります) 「死後経過時間」をわざと外して、死亡時刻をあいまいにし、加害少年に有利になるよう、画策したとしか思えないのです。 しかも逆送 (刑事処分相当として、検察にもどし、大人と同じような刑事裁判になること) されないように、「少年院送致相当」に○印をつけ、家庭裁判所に送っているのです。
 最近、栃木県で起きた事件などは、逆送になったので、公開の刑事裁判になっているのです。ですから親も一般の人も傍聴できるのです。逆送されなければ、家庭裁判所の中で非公開で、審判というのが下されるのです。非公開なので被害者遺族も、傍聴も意見を述べる事もできません。一人の裁判官と、加害少年と、加害少年の付添い人(親や弁護士) だけで審判が下されてしまうのです。密室の審議なのです。
 
・加害少年達がどう思っているのかも、私自身少年達から直接聞いてみたいです。
加害少年9人のうち5人は、すでに家に帰っているはずですが、いまだに謝罪の言葉もありません。
 
・私もこれ以上被害者も加害者も出てほしくありません。
やはり少年法の改正は必要だと思います。HP「疑問点」被害者の立場から、今の法制度のおかしいと思うところ・・・(私個人の意見)を見ていただきたいのですが、加害少年達は自分の犯した罪の重大さ・命の重さも認識せず、反省の場もなく少年院を出てきているのが現状らしいのです。心からの反省がなければ更生などあり得ないと思います。
人の命に関わるような重大犯罪はすべて逆送にして公開の刑事裁判にしてほしい。(加害少年の年齢に関係なく) とページの中で書きましたが、「刑事裁判で 『死刑』 になるかもしれない」 となれば、友樹の事件でも加害少年達は、もう少し手加減したかもしれないし、息のあるうちに救急車も呼んだと思います。 これからこのような事件を起こさないようにするにはどうしたら良いか。皆さんからのご意見をお聞きしたいと思います。

2000年7月16日 2:56:10
 今日は早く寝ようと想いながら、こんな時間になってしまいました。このHPを公開できてホッとしています。何人かの方から励ましのご意見をいただきました。本当にありがとうございます。 友樹は、どんなことをしても戻って来てはくれない。わかっていてもまだ認めたくないのかも知れません。


2000年7月14日 1:48:05
 新古河駅から戻って日記を書いてます。 今日は友樹の月命日、もっと早くホームページを公開したかったのだけど、思い切って公開することにしました。皆さんのご意見をメールにて聞かせて下さい。 加害少年やその親にも見てほしいと思います。自分達の息子がどんな残酷な暴力を振るい 「チョー気分が良かった」 「スカっとした」 などと供述している事を・・・


2000年 7月 13日 (木)
 友樹が可愛がっていた犬が、赤ちゃんを産みました。二度目の出産です。友樹が生きていたらどんなに喜んだか・・・深夜、ゲートボール場とS駅へお線香をあげに行って来ました。未だに、第一犯行現場の小学校には辛くて行けません。小学校での暴行で、おそらく相当のダメージを受けていたと思われるのです。友樹の心の叫びを聞き取れなかった自分が情けない・・・


2000年 7月 1日 (土)
 明け方まで武さんの出演している番組を見ていました。 去年の今日は、友樹の四十九日でした。


2000年 6月 30日 (金)
 深夜、某テレビ局の番組に 「少年犯罪被害当事者の会」 代表者の武さんが、生出演するということで朝まで見ていました。何だかんだと理由をつけ、少年法改正に反対の人たちが意見を述べていました。武さんが話そうとすると横から割り込み、言いたいこと訴いたいことの半分も発言できなかったようで、見ていて気の毒になりました。国会議員だか、弁護士だか知らないけれど、自分の身内が少年被害に遭った時も今と同じことが言えるのでしょうか?


2000年 6月 13日 (火)
 私の小・中学校からの友人が、友樹にお線香をあげに来てくれました。明日のお天気があまり良くないということで、主人の母と友人と一緒にお墓参りに行って来ました。夜には雨が降ってきてしまい。ゲートボール場に行けませんでした。


2000年 5月 30日 (火)
 友樹の命日にあわせて記事を書いてくださった朝日新聞の児林もとみ記者が、友樹の写真などを返しに来てくださいました。またいろいろ話しをして、泣いてしまいました。児林もとみさんは、遠慮なく泣いて下さいと、私を抱きしめてくださいました。


2000年 5月 28日 (日)
 「少年犯罪被害当事者の会」 の集まりに主席した。久しぶりに会の皆さんに会えて、ホッとしました。 遠くから朝一番の新幹線で来てくれた方、皆さん時間とお金の都合をつけて集まりました。思いはみな同じ・・・


2000年 5月 25日 (木)
 最近友樹宛にダイレクトメールが届く。進学塾・教材などの案内だ。どこから入手したか知れない名簿に基づいて送ってくるのだろうけど、その度に傷ついている人がいるのを知っているのだろうか・・・

 今日も一日暑いくらいだった、去年の今ごろもこんなに暖かだったのだろうか?こんなにたくさんの花々が咲いていたのだろうか?ぜんぜん記憶がない。


2000年 5月 22日 (月)
 午後、体調が思わしくなかったので、仏壇のローソクを灯したまま少し横になった。 夢の中に小学校低学年頃の友樹が来てくれた。 『友樹!帰って来てくれたの?』 思い切り抱きしめた。 確かに抱きしめた感触が感じられた。友樹はあの頃の優しい笑顔に戻っていた。 ふっと目が覚めた。 『夢だったんだ・・・ でもまた会いたい!』 そう願って目を閉じた。 今度はもっと幼い頃の友樹が来てくれた。 おしめをしていた・・・ でも何か楽しそうにおしゃべりしてた・・・ 友樹、帰って来て! 


2000年 5月 16日 (火)
 新聞に記事が載ったことで、友人や新聞を読んだ地元の方から励ましの手紙や電話を頂いた。 今まで被害者遺族の現状を知らなかった人が、あの記事を読んで、『陰ながら応援しています。頑張って下さい。』 と言ってくださった。皆さんありがとうございます。 皆さんの心ある励ましの言葉が、今の私を支えてくださっています。


2000年 5月 14日 (日)友樹命日
 昨夜からずっと 『今ごろは・・・』 と昨年のことがよみがえる。
一年が経っても警察の遺体安置室で見た、友樹の変わり果てた姿が目に浮かび、手には友樹の体の冷たさが残っている。 きっと一生昨日のことのように感じられることでしょう。 午前中お墓参りに行った、昨日友樹の友達が来てくれたのかお花やジュース・ヤクルトなどたくさんお供え物もあった。 中学三年生の時の担任の先生が、朝日新聞・埼玉判のコピーを持ってきてくださった。この一年間のことを取材され、命日に合わせて記事にしてくださったのだ。被害者遺族の心情を本当に良くまとめて記事にしてくださっていた。 同じ埼玉でまたも少年による事件が起き、同時に掲載されていた。これ以上被害者も加害者も出てほしくないのに、この一年間に異常なほどの少年事件が多発している。心が痛い・・・。

 友樹が高校に入学して入部したブラスバンド部員の方たちが、皆さんで家にお線香をあげに来てくださった。 友樹の友人も来てくれた。 友樹が中学の時入部していた陸上部の皆さんは、お墓へ行ってくださった。 みんなが 『友樹のこと覚えていてくださった。』 ことがすごく嬉しかった。 わざわざ来てくださったことがとてもうれしくて涙が出た・・・ 被害者の会の皆さんも法事の日や、命日に合わせてそれぞれお花を送ってくださった、その心遣いが嬉しかった。


2000年 5月 13日 (土)
 高校で友樹の担任だった先生が、お花を持ってきてくださった。入学してたった一ヶ月で殺されてしまった友樹の為に一年四組の友樹の机には、副担任の先生や女子生徒さんが中心になってお花を絶やさす゛生けてくださっていた。 でも、みんな二年生になって 『もう友樹の机はどこにもない』 と思っていたのに、先生のお話しではご自分の二年生の担任のクラスの隅に友樹の机を置いてくださっているとの事だった。うれしくて、感謝の気持ちで、涙が止まらなかった・・・

 夕方、K.町の主犯格四人のうち三人の親が突然来た。主犯格の四人は、『中等少年院・長期』 という審判結果だった。『長期』 といっても一年か一年半位で帰ってくるらしい。 早ければそろそろ出てくるはずである。とりあえずお線香をあげてもらった。 その中の一人は母子家庭で弁護氏宛に送った手紙には、「 うちは母子家庭で何の財産もありません。息子が帰ってきたら二人で働いて、生活して、あまった中から少しずつお金を支払いたい。」 とあった。 私はその手紙の内容がずっと気になっていた。 あまらなかったら払わなくていいということなのか? 息子をむごい残酷な暴力で殺しておいて、それで済んでしまうの?私は、その母親に言った。 「お金は要らない。友樹を返して! 返せないのなら自分の息子を金属バットと角材と竹竿を使って、二時間半かけて殺しなさいよ。」他の二人の父親も黙って下を向いていた。 現在、『調停』 を進めているが、彼等の誠意の無さには言葉も無い。 わずかばかり包んできた 「御仏前」 は持って帰ってもらった。 お金で友樹の命を買い戻せるものなら、何億になろうと何十億だろうと財産も全部処分してどんな借金をしてでも買い戻したい。それが出来ないのが悔しい・・・

 夜中雨の合間をぬって、ゲートボール場と、新古河駅にお線香をあげに行った。去年の今日、友樹は呼び出され暴行を受けた。一年前にタイムスリップできたら、友樹を助ける事ができるのに・・・
怪我くらいで済んでいたら、声を聞く事も抱きしめてやる事もできるのに・・・
時間を戻せたら・・・
結局一睡もできず朝になった。


2000年 5月 6日 (土)
 友樹・一周忌法要
御住職・御近所・親戚の皆さんの御協力で、一周忌法要を執り行う事が出来ました。 御住職も、「わずか 15 才で残酷な殺され方をした、友樹さんの写真を見るのがつらい。」 とおっしゃっていました。


2000年 4月 22日 (月)
 今日夜のテレビ番組で、三年前に一人息子を少年達に集団リンチで殺された母親が、復習の為に犯人を殺害するというドラマがありました。他人ごとには思えず自分を重ね合わせて見てしまいました。ドラマの中でも少年法に問題があるとしていました。自分の子供が、誰にどのように殺されたのか少年法に阻まれ何も知らされず、犯人の少年達やその親達からの謝罪も無く、殺人を犯しておきながら少年というだけで罪にもならない。被害者・遺族にとっては悔しい事ばかりです。 最近名古屋で中学生による五千万円恐喝事件が社会問題になっています。少年達による凶悪事件も多発しています。被害者対策も、やっと叫ばれてきました、そうした中でこういう内容のドラマも出て来たのでしょう。残された遺族がどんな思いで生きていかなければならないのか良く表された内容だったと思います。


2000年 4月 14日 (金)
 ふと気が付くと、桜が散りかけていました。早いもので十一回目の月命日です。いつものように、ゲートボール場やS.駅、お墓参りに行って来ました。まだ信じられません、友樹がもう帰って来ないなんて・・・
世間の人も加害少年も過去の事としてもう忘れてしまっているのでしょうね。私の手にはまだ友樹の体の冷たさが残っているというのに・・・


2000年 3月 14日 (火)
 夜中午前一時、友樹が息を引き取ったと思われる時間、ゲートボール場にお線香をあげ、アクエリアスを撒いてきました。地主さんには申し訳ないけれど、やはり私には友樹はここで亡くなったとしか思えないし、母親としてその時間その場所へお線香をあげて冥福を祈りたいのです。昼間お墓参りに行って来ました。


2000年 2月 26日 (月)
 今日は、友樹の誕生日。16才になる筈でした。ケーキを買って、家族皆でお墓参りに行きました。
友樹が好きだった食べ物を作って、仏壇に供えました。 本当なら、バースディーケーキのローソクを、照れながら友樹が吹き消してお祝いする筈なのに、主人公がいないのです。くやしい・・・


2000年 2月 14日 (月)
 今日は友樹の 9 回目の月命日です。主人の母とお墓参りに行って来ました。友樹の遺体が発見されたS.駅・発見されるまで放置されていた線路沿いの草むらにもお線香を上げてきました。夕方寄ったコンビニの人に 「バレンタインデーのチョコはもうあげましたか?」 等と聞かれ、始めて今日がバレンタインデーだったと気が付きました。今日は、友樹の 「月命日。」 という事しか頭にありませんでした。 


2000年 2月 11日 (金)
 新しいお墓が完成し、友樹の分骨してあったお骨も一緒にして納骨しました。これで、骨壷の中に雨水が入る心配も無くなり一安心しました。友樹、どうか心安らかに・・・


2000年 2月 8日 (火)
 PM 6:50、某専門学校少年Fの担任K先生が突然花を持って来家され、学校としてのコメント等は [出せない。」 と云う学校の趣旨を伝えに来た。K先生は、担任という事で何度も頭を下げて行った。教頭や校長は全責任を 担任であるK先生に押し付け自分たちは一切出て来ないつもりらしい。


2000年 1月 28日 (金)
 午後 4時 学校帰りのM.君に来てもらった。 友樹が 「バイクを盗んだのは 板倉町の少年F.だ。」 と言っていたと供述されていることがどうしても納得出来ず、M.君に聞けば何か判るかも知れないと思いお願いしたのだ。M.君によれば、 板倉町の人の名前を知ったのは呼び出される前の日、コンビニで 印出少年とイザコザが有った時始めて少年Gと連絡先を教え合っただけで他の人の名前は知らない。飯島君も他の人の名前は知らない筈。だから飯島君がそんな事言うとは思えない。」 と証言してくれた。「黒いスクーターの事で夕方呼び出された時も、『飯島君は家の用事が有って、その日は来なかった。』 と先輩に説明した。」 と言った。なのに、友樹は嘘つき扱いされ、執拗な暴行を受け殺されてしまった。 いったい誰が、友樹を落とし入れるようなことを言いふらしたのか?


2000年 1月 21日 (金)
 少年Cの通っていた某県立高校のN.校長から手紙が届いた。内容は、事件概要として新聞の切抜きを写し、学校の見解として 「日ごろより、生徒指導については、きめ細かな指導をしてきたが、このような事件が発生しまことに残念である。二度と起こさないよう生徒指導の徹底に努める所存である。」 原文写し 警察から 「事件の内容に付いては、新聞の報道のとおり」 としか説明がなかったと言っている。自分の学校の生徒がこの様な残虐な事件を起こしているのに詫びの言葉もなかった。


2000年 1月 20日 (木)
 夕方、某専門学校少年Fの担任K先生が突然来家され、謝罪が遅くなってしまった事を詫びて友樹にお線香を上げてくださった。 私が学校に電話をしたから、来てくださったのは分かったが、わざわざお線香を上げに来てくださった誠意は感じられた。 私は先生に、少年Fが復学を希望しているなら絶対退学させないで欲しい事、今後の指導をお願いした。事件後警察からどのような説明があったのか、具体的に文章で送って欲しい旨もお願いした。
 主犯格の一人少年Cは某県立高校の 2年生だった。審判結果は中等少年院長期。少年Cの学校にも電話してみた。教頭のM先生にお話しを伺った、何処の学校もそうだが、こちらの名前を名乗ってもピンとこないらしい、もう過去の出来事になってしまっているんだと改めて思い知らされる。少年Cは平成 11年 6月30日付けで自主退学になっているそうだ。教頭のM先生にも、警察からどのような説明があったのか、学校としての見解等を手紙で送ってくれるようお願いした。


2000年 1月 19日 (水)
 毎日考えるのは友樹の事ばかり、そして未だに謝りにも来ない加害少年達とその家族の事。夕方思い切って少年達が通っていた学校へ電話を掛けてみた。 某私立高校・生活指導T先生の話しでは、板倉町少年Gは、平成 11年 6月 3日に逮捕されるまで平然と登校していた。保護監察処分になったが 6月下旬頃退学になったそうだ。
 某専門学校は 2人の加害者を出した、板倉町少年F少年H少年Hは保護監察処分になった 10月まで 「家庭謹慎」 だったがその後は登校しているらしい。 少年Fは、中等少年院特殊短期だったが、T教頭先生によれば 「 1月の初め、6日か 7日に戻ったとお母さんから電話連絡が有りました。」 との事。 私は、彼等が学校に復学する事に付いては異存は無い。 むしろ、今後二度とこの様な事件を起こさぬようしっかりと指導・教育していただきたい。しかしその為には、自分の成した事の重大さを認識し、心から反省し、謝罪の気持ちがなければ、更生は有り得ないと思うのです。少年Fが「少年院から戻った」と云う事も学校に電話をしていなければ、未だに知らなかったでしょう。私共には何の連絡もないのですから。 少しでも 「申し訳ない。」 と云う気持ちが有るなら、少年院から戻ったその足で謝罪に来て欲しかった・・・


2000年 1月 14日 (金)
 今日は友樹の 8 回目の月命日です。お墓参りに行って来ました。毎月 13日の夜から 14日にかけては、「友樹は今頃、金属バット等で暴力を振るわれていたんだ。」 どんなに痛かったか・・・。どんなに辛かったか・・・。「今頃必死で、心の中で助けを呼んでいただろう。」その叫びを感じ取ってやれなかった・・・。「今頃、冷たい土の上で、息を引き取ったんだ。」どんなに無念で、寂しい思いで逝ったのか・・・。その時間、その時間、毎月思います。 助けてやれなかった友樹への申し訳なさと、加害少年とその関係者達への怒りでいっぱいになります。


2000年 1月 11日 (火)
今日は、母方の叔父の告別式に行って来ました。夕方帰宅すると、宅急便でイチゴが一箱届いていました。差出人は、板倉町少年Hの母親でした。板倉町少年Hは、保護監察処分になって自宅に居るはずですが、未だに謝りにも来ないし、友樹にお線香の一本も上げに来ていません。いきなりイチゴの一箱を送って来るより、親子で謝罪に来るのが先だと思うのです。イチゴは送り返しました。


2000年 1月 1日 (日)
カンウトダウンだ、2000年だと世間が騒いでいるのを、何か他人事のような腹立たしいような気分で迎えました。もう友樹の事件も、「昨年の・・・」 と云う表現をしなくてはならなくなってしまったのですね。 保護監察処分になった加害少年や関係者の家族、そして特殊短期になった加害少年も、もしかしたらもう少年院を出て、家族そろって何事もなかったかのように、お正月を迎えているかと思うと悔しくて、嫌味の電話の一本もかけてやりたくなります。