毎日ではないけど・・・

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2001年5月29日 火曜日 1:36:06
 皆さん、いつも励ましのメールをありがとうございます。
皆さんのお陰でどれだけ心が癒されているか、はかりしれません、本当に感謝しています。

 昨年の秋頃から少しずつ、草花の苗を買ってきて鉢植えにして庭に飾ったり、友樹のお墓にも植えたりしてきました。今、徐々に数も増えて、花々もきれいに咲いてくれるようになりました。事件から一年過ぎた頃当事者の会の友人に、「友樹くんはこんなにたくさん花が咲いている時期に逝ったのね。」 と言われ、周りを見たら花々が目に入りました。それまで周りの景色や、暑かったのか寒かったのか、まるでわからないまま一年を過ごしていた事に気付いたのです。 草花の手入れをしている時、少しだけ優しい気持ちになれるような気がします・・・

 最近小さなお客さんが遊びに来てくれます。ウチの前の道は通学路になっているので、子犬を見に勝手に庭に入って遊んで行く子が多かったのですが、先日庭いじりをしていたら小学6年生の女の子2人が、「何かお手伝いする事があったら言ってください。」 と言ってくれたので、小犬たち(2匹)と友樹が可愛がっていた 『ジョイ』 のお散歩を頼みました。彼女たちは、「いいんですか?」 と喜んで散歩に連れて行ってくれました。昨日の夕方も、「こんにちわ!」 と元気にやって来て、「また犬の散歩行っていいですか?」 と言って連れてってくれました。子猫も5匹産まれているので、彼女たちは子猫たちとも遊んで帰ります。


2001年5月28日 月曜日 6:21:57
 先日私共の弁護士から連絡があり、少年Aを除いた主犯格少年全員が帰ってきているとのこと、弁護士を付けている加害少年は 「弁護士同伴で謝罪に来たい」 と言っているらしい、お互いの弁護士の都合のいい日に来る事になっている、まだいつになるかわからない状況で、毎日イライラしています。

裕一さん、友樹へのメールありがとう、きっと天国で見てくれていると思います。友樹にもたくさんの夢が有ったんですよ。高校卒業したら音楽の専門学校へ行きたい、色々な楽器について勉強して、バンドを組んでプロデブューしたいって・・・ 20代後半で結婚して、30代で人気が落ちないうちに解散するんだって・・・ 大きな目標・夢があったの。 お棺の中に、ドラムのスティクは入れてあげたけれど、ドラムがなくちゃ天国で練習できないね。ゴメンネ。


2001年5月15日 火曜日 23:59:09
 スクープ21の鳥越俊太郎氏コーディネーターによる 「報道被害とジャーナリズム 『桶川・女子大生ストーカー殺人事件』 から」
主催;新聞労連関東地方連合 協賛;日本ジャーナリスト会議埼玉新聞支部  という集会が、さいたま新都心駅近くの 「ラフレさいたま」 という所で行われ、猪野さんのご主人がパネラーとして出席されました。私も少し友樹の事件に関しての意見を言わせていただきました。

 猪野さんとは昨年の9月大阪で 「犯罪被害者の会」 のシンポジウムに出席した際紹介され、それ以来お互いの家を訪れたりメールのやり取りをしたりと、お付き合いをさせて頂いていましたので、今日私も出席させていただました。 午前中は裁判があり、傍聴もしてきました。


2001年5月14日 月曜日 23:58:58
 今日は友樹の命日、午前中から私の友人などが入れ替わり立ち代り来て下った。「少年犯罪被害当事者の会」 の仲間達がたくさんのアレンジフラワーを送ってくださいました。

友樹の中学時代同じ陸上部だった友人が、夕方学校帰りにお線香をあげにきてくださった。高校三年生になったその友人は、「一生この日は忘れないです。今バンドを組んで音楽やっています、陸上部時代に友樹くんと音楽の話を通じて仲良くなりました。これからバンド仲間も進学や就職したりでバラバラになると思うけれど、この日だけはどこへ行っていようと休みを取って帰ってきてお線香をあげに来たいと思っています。」 と言ってくれました。 しっかりとした態度、姿勢に成長がうかがえました。 友樹の事をずっと忘れないといってくれた事がすごく嬉しく、この良き友人たちの心の中で友樹は生きているんだと思えました。


2001年5月14日 月曜日 3:30:48
 先程日記を更新してから、ゲートボール場と新古河駅にお線香をあげに行ってきた。昼間は温かかったのに、深夜になるとまだ肌寒い。あれから丸2年が経ってしまった、皆さんに励まされ頑張ってきたけれど、まだまだ真実を暴く事が出来ない。友樹も歯がゆい想いでいるのではないかと、申し訳ない・・・ でも、何年かかろうと真実を暴き公に出来るまで頑張るから、もう少し見守っていてね、友樹。

もうすぐ友樹が遺体で発見される時間になるね。友樹は息を引き取っても友樹の魂はずっと彼らの行動を見ていたんだよね。それを私に伝えようとしてくれた。

昼間加害少年が来ているとき、仏壇のお菓子が落ちたり、パシッ・ピシッと音がして友樹は存在を教えてくれた・・・ 夕方M.君・N.君・O.君が来てくれたときは、不思議と静かになって、きっと友達が来てくれたことが嬉しかったんだよね。 M.君・N.君・O.君に 『Title』 見せたら、さすがにつらそうに鼻水すすってた。 でもね、ママはM.君たちも許せないでいるの、だって本当の友達だったら友樹が呼び出され暴行を受けているのを知っていたんだから、いくら脅されようと、匿名でもいいから通報してほしかった。そしたら友樹命だけでも助かったかもしれないってずっと思っている。 それはM.君たちだけに限らず、事件関係者全員に言えること。


2001年5月13日 日曜日 23:58:22
 被害者の会の友人が、茨城県の牛久・埼玉の上尾市からご夫婦・親子でそれぞれ来てくださった。 午後2時に板倉町の加害者2組、午後4時には3組がお線香をあげに来た。 今回は5人の加害少年が皆日記を持参してきた。12月ウチに来た時から毎日書いていた子、5月7日の調停成立時誓約書を書いてから日記を付け始めた子、毎日書けずに飛び飛びになっている子、毎日書いても仕事で疲れた・家の手伝いで疲れたと一行程度で済ませている子、その日あったことを克明に書いている子・・・
加害少年達に了解を得て、被害者の会の友人にも見てもらった。
被害者の会の友人たちは、同じ子供を殺された親の立場から加害少年たちに、私の言いたい事を分かりやすく少年や一緒に来た少年の母親たちに、この子たちを本当に更生させるためにはどうしたら良いか、色々言ってくれた。

感情に走って発する言葉と、私の気持ちを十分理解し諭すように言って聞かすのではやはり違うものがある。今まで一人で加害少年たちと逢ってきたが、今回被害者の会の友人と一緒に逢ってみて本当に助けられた。私の気持ちを充分に理解して、応援して助けてくれる友人たちに感謝の気持ちで一杯です。そして、HPをみて応援してくださる皆さんがたくさんいてくださることが励みになっています。 皆様、本当にありがとうございます。


2001年5月12日 土曜日 21:45:10
 今日岡山の友人が友樹にお花の盛りかごを贈ってくださった、大きな花の盛りかごを見た瞬間嬉しくて涙が出てしまった、届けてくれた花屋さんが 「代わりにサインしてよろしいですか?」 と気を使ってくださった。

 その数時間後、別の花屋さんが花束を持ってきた 「さんからのお預かりモノです。」 と・・・。 少年Aの母親は彼岸にも花を送ってきた、その時は 「この度は御家族の皆様には、大変申し訳ございませんでした。 親子共々誠意を持って償わせていただきます。」 (原文写) という内容の手紙が添えてあった。今回は花を送ってきただけでメッセージも無かった、私は花屋さんには大変申し訳ないけれど受け取りを拒否し、「 『花を送ってくるより、線香の一本でもあげに来てほしい』 とさんに伝えてください」 と言った、店員さんは 「分かりました。」 と花を持ち帰った・・・。 誠意のある行為には思えなかった、命日にお線香をあげに来るのが誠意ではないのか、来れない身体的事情でもあるならそれを手紙にしたため、花に添えて送ってくるべきであろうと思った。

 夕方、友樹の高校の担任だった先生がお線香をあげに来てくださった、「今年も友樹の学年・三年生を引き続き担任する事になったので、教室の隅っこですが友樹くんの机を置かせていただいています。」 とおっしゃってくださった、「修学旅行に行った時友樹君へお土産を買ってきたのですが・・・」 とオルゴールを友樹に買ってきてくださった。 呼び出し役のHも引き続き先生のクラスに居るとの事だった。 たった一ヶ月お世話になっただけなのに事件を風化させまいと友樹の机を教室に置いてくださり、事あるごとにお線香をあげに来てくださる先生には、感謝と申し訳ない気持ちで一杯であるが、先生は 「教師である自分にもっと何かできる事があるのではないかと、歯がゆい気持ちです。」 とおっしゃっていた。


2001年5月11日 金曜日 2:21:51
 少年Dの母親が、「何回か飯島さんの携帯に電話したけれどつながらなかった」 と調停員に言っていたと聞き、少年Dの自宅に何回か電話した。電話番号は、供述調書に載っている番号だ。 何度電話しても留守電になる。やっとつながったと思ったら母子家庭のはずなのに男の人が出て、違う家だという、住所・電話番号を確認した、それでもウチではないという、「いつ電話番号が変わったのですか?」 と聞いたら、「ずっとこの番号だ!」 との事。

 加須警察に電話した。「供述調書に載っている番号に電話しても、違うといわれるのだけれど調べてほしい」 と、最初応対してのは地域課の カモシダ ジュイチ という警官だった、副署長はまだ 向井 か聞いたら代わったという、どこへ転勤になったのか聞いたら答えなれないという、生活安全課長の 清水八郎 はまだ居るのか聞いたら居ないという、どこへ転勤になったのかは、やはり教えられないという、生活安全課の オイカワ キミオ という警官に電話を代わった、しかし、オイカワ も教えられないという、事件の事についても何も引継ぎをしていないので分からないとの事。

 なんという対応の仕方なのだろうと思った、向井副署長は 「質問したい事があれば、いつでも応対したい」 と自宅へ来た時に言っていた。警察というところは、事件を担当した警官の転勤先を被害者にも教えられないところなのか? そんな決まりでもあるのか聞いたら、「法律も決まりも無いけれど教えられないものは教えられない」 の一点張りだった。 被害者対策だの、被害者支援だの奇麗事を言っているけれど、何も変わっていない。 「電話でのやり取りを実名を出してホームページで公開します。」 と言った事に対しても、「教えられないものは教えられないので!」 と言ってオイカワ の方から電話を切った。


2001年5月8日 火曜日 2:09:02
 7日調停があった、私は都合が悪くて行けなかったので事前に打ち合わせをして、弁護士にいってもらった。 そこで少年Dが4月始めに少年院から帰ってきていたことを母親から始めて聞いた。 少年Dは母子家庭で、調停では弁護士を付けていなかったので、調停員を通じ 「本人が帰ってきたら、必ず連絡してほしい。」 と言って携帯番号を伝えてあったのに、今まで何の連絡も無かった。 何を考えているのだろう、少年院は何を教えたの? 反省もしていないの? 出て来て一ヶ月近くも経っているというのに・・・

リンクのページに最近公式に開設された 「埼玉県北川辺町のホームページ」 と 「群馬県板倉町のホームページ」 アップしました。 ご意見箱に書き込みましたが、取り上げてくれるか分かりません。


2001年4月29日 日曜日 3:56:17
 丸谷さんのおっしゃるように、この時期つらいです。命日まであと何日と数え、事件当時のこの時期のことが思い起こされます。 主犯格の少年たちが今日出てくるのか明日出てくるのかと、毎日弁護士からの連絡を、恐怖と期待の入り混じった複雑な気持ちで待っています。


2001年4月16日 月曜日 0:30:36
 3月のお彼岸に改めて、社会復帰している5人の少年と 『日記を書き、月命日前後に見せにくること』 を約束していたので、この土日に連絡が来るものと思っていましたが、誰からも連絡も無く見せにきた者はいませんでした。 残念です。またも彼らは約束を破るつもりなのでしょうか?


2001年4月14日 土曜日 23:49:23
 今日は友樹の月命日、昼間お墓参りに行ってきました。少し風がありましたが、だいぶ温かくなってきました。お墓へ行く途中の道路もチューリッブや水仙、その他の花々が色とりどりに咲いています。 友樹のお墓へ植えたパンジーも肥料をあげ、きれいに咲いてくれました。サフィニアと芝桜も植えてみました。
友樹が少しでも寂しくないように、花に囲ませてやりたかったのです。


2001年4月14日 土曜日 1:27:18
 先程、ゲートボール場と新古河駅にお線香をあげに行ってきました。ゲートボール場で空を見上げると、たくさんの星が見えました。 友樹は、ここでどんな想いで息を引き取ったのだろう・・・
星は見えたのか? 殴られて腫れあがった目は開けることは出来なかったのだろうか?
苦痛に絶えることでじっと目を閉じていたのだろうか・・・
来月で丸2年になる。真実はまだ何も解明できない、ゴメンネ友樹・・・


2001年4月8日 日曜日 23:51:02
 昨日は、「当事者の会」 の友人と都内のホテルに泊まり、深夜までおしゃべりしていました。お互い同じ立場、事件に遭った時期も近く抱えている問題も共通するものがあり、彼女とは本音で話ができます。もし、このような仲間と出会えていなかったら、ここまで頑張ってこれなかったと思います。

 リンクのページに 『少年犯罪と被害者の人権』 (明石書店) を紹介させていただきました。「少年犯罪被害当事者の会」 が日弁連の弁護士さんに何回か交流の場を設けていただき、被害者の現状を訴えてきた中で、少年犯罪被害者支援弁護士のネットワークが必要だということで、今日、 「少年犯罪被害者支援弁護士ネットワーク創立総会」 が開催され、「当事者の会」 の友人と出席してきました。突然、不幸にも少年犯罪被害者・遺族になった場合、悲しみのどん底の中で何も分からないうちに審判が終わってしまいます。

 捜査段階から、被害者の気持ちを理解してくださる弁護士の協力が得られれば、捜査状況や納得のできない点などを聞いていただいたり、アドバイスを受ける事ができると思います。現在全国に45名ほどの弁護士さんがネットワークに参加してくださっています。紹介させていただいた本には、その弁護士さんの連絡先が掲載されています、死亡事件に限らず、いじめ等に悩んでいらっしゃる方、ぜひ気軽に相談していただきたいと思います。

 私や 「少年犯罪被害当事者の会」 にメールで問い合わせていただければ、中心になって活動してくださっている弁護士さんに連絡し、そこからお近くの弁護士を紹介することも出来るかと思います。今日もたくさんの弁護士さんや報道関係者の前で、限られた時間の中、被害者の現状・弁護士さんへの要望など、微力ながらお話させていただきました。


2001年4月6日 金曜日 23:19:31
 今日は穏やかで暖かい一日でした、友樹の墓参りに行きました、どなたか来て下さったのか見慣れない花が生けてありました。8日 (日曜) 御茶ノ水で 「少年犯罪被害者支援弁護士ネットワーク創立総会」 が開催されます。少年犯罪の被害者・遺族には、早い段階から、警察・検察・審判・民事裁判に対する弁護士の活動が必要でした。遅れていたこの分野で、支援弁護士のネットワーク結成がようやく実現し、創立総会が開催されることになったのです。被害者の気持ちを本当に理解し、支援してくださる弁護士さんのネットワークが全国に広がる事を願ってやみません。 私も出席させていただきます。当事者の会の友人も主席するので、明日都内に一泊して積もる話をするつもりです。


2001年4月5日 木曜日 1:15:37
 大阪から先程無事帰ってきました。 春休みも残り少なくなったので、娘はアパートへ帰りました。


2001年4月3日 火曜日 21:12:13
 今娘と大阪に来ています。昨日こちらに着きました。昨日は穏やかで暖かでしたが、今日は小雨が降って肌寒いくらいでした。残り少ない春休みどこに行きたいと聞いたところ、「お笑いが見たい」 と言うことで、思い切って大阪まできました。昨日と今日2日続けて吉本見てきました。
もうすぐ主犯格の少年が出てくるというのに、吉本見て笑っている自分がいる事に気付き、自己嫌悪に陥ったりします。でも、娘の楽しそうな笑顔を見ていると、「来てよかった」 と思えます。 今夜もう一泊して、明日こちらを発ちます。


2001年4月1日 日曜日 1:01:57
 先日夢を見ました。 近所の男の子のような、加害少年のような、顔ははっきりとしない少年の髪の毛を触っています。その子の髪の毛はすごく柔らかな感触で、『友樹の髪質とぜんぜん違うな』 と思いながら撫で回していました。突然その子が、赤ちゃんの頃の友樹になりました。 腕にずっしりと友樹の体の重みを感じました。 温かくて、ふくよかな体の感触も確かに感じました。 しっかりとこの手で抱きしめていました・・・ 今この手には、亡くなった時の体の冷たさと、夢で逢えた友樹の体の重みと温かさが同時に残っています。

 友樹は中学三年生になるまで床屋さんに行ったことがありません。
赤ちゃんの頃から私がカットしていました。小さな頃はハサミで、小学校の高学年になってからは電気バリカンでスポーツ刈りにしていました。 ふろしきを縫い合わせて、上のところに紐を通し、首に巻いて洋服の中に髪の毛が入らないようにしました。 それでも素人ですから、カットした細かな髪の毛が洋服の中に入ります、ですからいつもお風呂に入る前に床屋さんをやるのです。

 社会復帰している加害少年が昨年の暮れ始めて来た時も、殺してやりたいほど憎いのに、友樹と同じ年頃の少年が妙に懐かしくて、髪の毛をなでくりまわして泣いてしまいました。