毎日ではないけど・・・

2000.10.31 以前の日記・報告
2000.12.31 以前の日記・報告 2001. 1.31 以前の日記・報告 2001. 3.31 以前の日記・報告
2001. 5.31 以前の日記・報告 次へ



2001年6月29日 金曜日 23:48:21
 S.さん、メールありがとうございました。加害者たちにとっては、「過去のこと」 になっても被害者にとっては絶対過去のことにはなりませんよね。 『親として友樹のことをどこまで理解してやれていたのだろう』 と、私も反省させられるばかりです。

 何十年も前から、いじめ問題もあったし、「貧しいから」 とか 明確な理由もなしの少年犯罪もたくさん起きていました。しかし、加害者擁護の法曹界の方々のお陰で今も被害者は泣く一方です。お金がなくては、弁護士に相談することもてきないのが現実です。もちろん誠実な弁護士もたくさんいらっしゃいますが、被害者の見方なようなそぶりで接してきて、後から法外な費用を請求されることもあります。 一部の弁護士と信じたいですが、被害者支援弁護士と名乗りながら、被害者支援とは名ばかりの金儲け主義としか思えない弁護士がいることも現状です。


2001年6月27日 水曜日 1:08:34
 昨日 (26日) 夕方、板倉町の少年G.少年F.が日記を見せに来ました。
20日主犯格の少年C.が弁護士と来た後、板倉町の少年I.も日記を持ってきました。
日記の内容は、依然話しにならない内容です。 しかし、「定期的に来て、焼香をする」 と言う約束は一応守っていることになります。

 どの少年もはじめて来た時には、私に頭を下げて謝罪しますが、私は 「友樹に心から謝って」 といいます。すると彼らは、仏壇の友樹に向かって深々と頭を下げます。
ユウコさんの質問にあったような態度は一応はとりますし、自分のやったことについても反省の言葉を述べます。 しかし、それが心からのものなのかは、これからの彼らの生活態度や、私どもと約束した 「日記を毎日付け、月に一回程度日記を持参して焼香に来る」 ということをどこまで真剣に受け止め実行していくか。 また、彼らの態度に誠意が感じられるかによって判断していく以外ないと思っています。


2001年6月25日 月曜日 5:03:19
 娘をアパートに送って、こんな時間になってしまいました。 久しぶりに会った娘は、ほんの少し大人っぽくなったように感じました。

 鱸 一浪さん、「仙台での少年犯罪関連討論会」 出席したいところですが、同日 「犯罪被害者の会」 の 『関東の集い』 がありますので、残念ながら行くことができません。ごめんなさい。仙台方面の方、ぜひ、出席して活発な討論をしていただけますよう、お願いいたします。 なお、その際このHPがお役に立てるようでしたら、遠慮なく使ってください。


2001年6月22日 金曜日 23:27:50
 今日は 「被害者の会」 の友人で、娘さんを殺された方の刑事裁判の応援傍聴に行ってきました。 しかし証人喚問するはずの 「証人」 がなかなか来ないという理由で一時間休廷し、結局 「証人」 が体調不良を理由に欠席したため、次回の期日を決めただけですぐに終わってしまいました。 容疑者側には事前に情報が入っていたらしく、容疑者の奥さんは開廷を待たず帰ってしまったようです。 この国はどこまで被害者を馬鹿にしているのだろうと思ってしまいました。

 先日 (20日) 来た加害少年の弁護士は、今日応援傍聴に行った被害者の弁護士でもあります。不思議なつながりです。 このつながりが良い方向へ行ってくれることを望んでいます。

少年との会話の詳しいやり取りは、まだ公表は控えさせていただきます。 彼らがどこまで反省しているのかは、これから彼らが約束どうり毎日日記を付け、月に一度日記を見せに焼香に来るかどうか。また、彼らの行動などを見守り判断する以外ないと思っています。

加害少年以外にも関係者がたくさんいます。 呼び出し役の二人も、何の反省もありません。親も然り・・・その態度や言葉は、「絶対一生許せない」 と思うことばかりです。


2001年6月21日 木曜日 0:30:07
 昨日 (20日) 夕方、主犯格の一人 (少年C.) が弁護士と来家した。 友樹に 「男として恥ずかしい思いをさせてやる」 と、下半身を剥き出しにした少年だ。 少年院から出てきたのは先月の23日、命日には親さえ来なかった。

私たち家族が友樹を亡くした悲しみと一生戦って生きていかなければならないのと同じように、一生が償いだと思ってほしい。その為に日記を付けて定期的に来るようお互いの弁護士立会いで約束させ、誓約書を後日代理人宛てに送付してもらうことにした。

SNOWBIRDさん、このHPがお役に立てるのであればどうぞ内容を紹介してください。


2001年6月16日 土曜日 0:16:12
 痛ましい事件のニュースを耳にするたび、心が痛くなります。 いつになったら犯罪の無い社会になるのでしょうか?

事件が起きるたび法律改正の声が上がるとともに、「人権」 を楯に反対する政治家・弁護士などが出てきます。 「人権」 とはいったい誰のものなのでしょうか? 事件を起こした容疑者の 「人権」 が第一なのでしょうか? 一番の弱者は、被害者・被害者遺族であるということを忘れないでほしいと思います。 確かに法律を変えたからといって、一気に犯罪が減少するわけではないと思いますが、「だから変えても無駄」 ということにはならないと思います。


2001年6月13日 水曜日 23:22:29
 小菊の苗を買ってきて、友樹のお墓に植えました。 パンジーもまだ咲いています、サフィニアも花を咲かせています。この墓の中に友樹のお骨があると思うと、お墓自体がいとおしく感じます。本当はお墓に入れたくなかった、ずっと手元に置いておきたかった・・・。田舎のしきたりには逆らえなかったし、そこまで考える余裕もなかった。

 夕方板倉町の農家に行って、トルコキキョウを分けてもらった。花屋さんで買うより直接農家から買ったほうが新鮮だと思い、あちこちの農協に問い合わせて紹介してもらった家です。とても親切な方でした。 今友樹の仏壇は、きれいで新鮮なたくさんの真っ白なトルコキキョウに囲まれています。


2001年6月7日 木曜日 23:59:06
 家に帰ってくると、現実と向きあわされます。友樹のいない家、留守の間に枯れた仏壇の花・・・。5日の夕方帰ってから、昨日いっぱい疲れて寝てしまいました。 被害者の仲間と会っているときは、食事も食べれるし、素直に泣いたり笑ったりできるのに、地元に帰ってくるといっきに落ち込んでしまいます。 でも今日は友人にお昼を誘っていただき、友樹に供える花も買ってこれました。


2001年6月5日 火曜日 2:18:24
 今夜も大阪に泊まっています。明日には帰ります。 メールを打つとエラーが出てしまい、返事が出せずご迷惑を掛けてしまっています。帰ってからゆっくり原因を調べるつもりですのでご容赦ください。
裕一さんが友樹宛にメールをくださる事は大変ありがたく思っていますが、友樹の代わりに答えてやれない事もあり、申し訳なく思います。でも裕一さんからのメールは天国の友樹にも届いていると思っていますので、きっと何らかの形で裕一さんに伝えていると信じています。
 このページへリンクを貼ってくださる事は大変ありがたく思っています。 TOPページにバナーがありますので、使ってください。よろしくお願いいたします。


2001年6月3日 日曜日 23:42:30
 「犯罪被害者の会」 『関西の集い』 に出席してきました。色々な事件被害者の方が集まり、簡単な自己紹介のあと、午後からは、大阪府警本部被害者対策室長の清水さんが来てくださり、被害者の声を聞かせてほしいと言ってくださいましたので、「『何時に亡くなったのかは大した問題ではない』 と加須警察の向井副署長に言われたが、本当にそうなのでしょうか?」 とお聞きしたところ、「そんなことはない」 とおっしゃいました。名刺ももらってありますし、たくさんの被害者の方たちの前での発言ですので、そのことを踏まえもう一度埼玉県警に質問状を出してみようかと考えています。


2001年6月2日 土曜日 21:47:19
 昨夜は一睡もせず話をしていました。 今日、茨城県牛久市からも 「被害者の会」 の友人が岡山に来られ、赤穂に食事に行きました。 皆で食べる食事はとても美味しく、おなか一杯食べられました。 今夜は、川の字になって寝ます。


2001年6月1日 金曜日 23:26:06
 今、岡山の 「被害者の会」 の友人宅に来ています。 今日民事訴訟の初公判があり、応援傍聴に来ました。今夜と明日泊めていただく予定です。 やっと息子さんにお線香をあげに来れました。 同じ年に事件があり、お互い支えあってこれた友人です。