毎日ではないけど・・・

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2001年7月31日 火曜日 0:52:31
 岩崎先生はじめたくさんの方々、お忙しい中メールいただきありがとうございます。
犯罪被害者支援の集会で、私を見かけたというzucchiniさん、またどこかで私を見かけたらぜひ声を掛けてください。
また暑さがぶり返してきました。皆さんにご心配掛けないよう、頑張って食事を取ります。


2001年7月28日 土曜日 0:22:40
 弟のお嫁さんが入院してしまい、4 才と 2 才の姪っ子の面倒を、実家で母と二人でみていました。 姪っ子たちの面倒をみながら、自分が子育てしていた頃を振り返っていました。 友樹が 2 才の頃、同居していた義母との諍いのイライラを子供たちにぶつけていたように思います。 子供たちから観たらいつも怒っている怖いお母さんだったに違いありません、なおさら義母になつき、またイライラする、その繰り返しだったように思います。 もう一度育児をやり直せたら、叱ることがあっても優しく諭すように叱りたい。感情で子育てしてきた自分が恥ずかしく、子供たちに申し訳ない思いでいっぱいです。 それでも優しく育ってくれた、友樹・・・ゴメンネ。 娘も今は私の心の支えです。


2001年7月23日 月曜日 0:47:36
 21日土曜日に、「犯罪被害者の会」 『関東の集い』 に参加させていただきました。 岡村弁護士を囲み、色々な話し合いがされました。
帰ってきてから、「明石の花火大会の事件」 を知りました。亡くなった方の殆どが、幼いお子さんやお年寄りと聞き、親御さんや御家族の心中を思うと心が痛くなります。


2001年7月15日 日曜日 21:49:52
 今日は、少年C.が日記を持って一人で来た。弁護士と来て以来二度目になる。以前の仲間となるべく会わないよう、東京の叔父さんの家で暮らし、ガソリンスタンドでバイトしながら教習所に通っているという。日記を書きだして一ヶ月足らず、内容は他の少年に比べれば事件のことを真剣に受け止めているようにも感じられる。しかし、「友樹君に対して出来ることを考えた結果、僕がしっかり生きること、いつか立派な人間になってみせます。」 という文章には複雑な感情を覚えました。生きているからいくらでもやり直すことが出来る。友樹だって生きていればしっかりと立派な人間になれたかもしれない。 そのチャンスを奪っておきながら、「しっかり生きること」 が友樹にしてやれる最大なことなのだろうか?

少年B.のK.弁護士からはまだ連絡が無い。
少年D.も母親と一度来たきり連絡が無い、「日記を付け月に一度見せにくる」 という誓約書を書いておきながら、連絡先の携帯に電話をしても電源が切られている。


2001年7月13日 金曜日 23:52:48
 ホームページを開設して一年になりました。たくさんの方に訪れていただき、本当にありがとうございました。皆さんからの温かい励ましのお陰で、この一年過ごせたと思っています。

 協力を申し出てくださる皆さんの御厚意を無駄にしないよう、私に何が出来るのか、何をしていけば良いのか、まだまだ模索中ですが、必ず協力していただける日が来ると信じて頑張ります。 これからも、よろしくお願いいたします。


2001年7月13日 金曜日 0:45:02
 12日夕のTBSテレビ 『ニュースの森』 で、また北川辺高校野球部のことを放送していました。昨年も、「取材に来て放送された」 と後で友人から聞き、事件から一年足らずであり、関係者も在校しているのに取材を許可した学校にも、テレビ局にも怒りを覚えました。

 今回この放送を見ることができたのは、お兄さんを殺されたにも関わらず 『自殺』 と処理された被害者遺族の方から 「ウチのことが放送されるから見て」 と言う内容の電話をいただき、見ていたのです。ところが、その方の事は放送されず北川辺高校野球部のことが放送されたのです。普段私はあまりテレビを見ていません。 友樹が見せた、としか思えませんでした。 昨年見ることができなかったので、今年は私に見せたかったのだと思います。

 『自殺』 と処理され取材を受けた方には、放送終了直前に放送日が変わったと連絡があったそうです。私も放送中に抗議の電話をしました。TBSテレビの対応は、視聴者をバカにしたような対応としか思えませんでしたが、放送終了から一時間ほど経ってから、北川辺高校の取材にも同行したという社会部の記者から電話がありました。今回、事件があったことを知りつつ野球部を取材した側と、放送を見た被害者遺族の感情はやはりすれ違うものがあると感じました。友樹も生きていれば吹奏楽部で野球部の応援も出来ていたハズでした。

 社会部記者のフクシマさんは、最初に対応したTBSテレビの職員の応対について謝罪してくれ、今後番組を見ている様々な立場の視聴者のことを考え、番組作りをしていく努力をしてくれることを約束してくれました。このHPも見てくれるということですので、ぜひ御意見を寄せてくれることを希望します。


2001年7月8日 日曜日 23:41:05
 夕方、板倉町の少年H少年 I.が、日記を持ってきた。二人とも途中から暴行に加わっていたせいか、反省の色があまり感じない。当時 17才だった少年 I.は事件から一年経った年の 7月末から、親に出してもらったお金で教習所に通い、 9月には運転免許を取得し中古のセドリックを親に買ってもらい、今乗り回しているとのこと。「教習所に通っている時どんな事思っていた ? 」 と聞いたら、「早く車乗りたいナ 何処行こうかな。」 と思っていたと言う。彼が教習所に通い、車を買い与えられ乗りまわしている時、まさに調停中で、彼らの親は 「お金が都合つかない」 などと言っていたのである。人の命を奪った自分の息子には出せるお金があっても、被害者に払うお金は無いのだろう。

当時 16 才だった少年Hも、今年の 5 日 14 日に教習所に予約の電話をし、やはり親からお金を出してもらい、19日から通い 6 月5 日に運転免許を取得したという。 今適当な車を探しているとのこと。 三回忌にあたる、命日に教習所に予約の電話をしたと日記に書いてあるのを見たとき、無性に腹が立った。友樹と少年Hは、学年では同じである。 二人には、「それぞれの 保護司に私が会いたいと言っている」 と伝えておくように言った。


2001年7月6日 金曜日 0:26:37
 ここのところ、毎日お墓に行っています。 お墓に植えた花々にお水をあげないと、暑さでしおれてしまいます。 「花にも命があり、手を掛けてあげればあげるほど綺麗に咲いてくれるのよ。」 と 『少年犯罪被害当事者の会』 の方に教えていただきました。 さすがにパンジーは終わりになってきたので、サフィニアや菊や他の花を植えました。

 少年Bも、5月中に少年院を出ているはずなのに、未だに謝罪に来ません。 少年院から出てきたら、K.弁護士と一緒に来る約束になっているのに、少年Bは自宅の電話番号を変えてしまっているらしく、「なかなか連絡が取れない」 というのです。近くのコンビニで見かけたと言う少年も居て、「普通の生活を送って、事件前から付き合っていた彼女とも逢っているようだ」 とのことでした。そんな話を耳にするたび、反省も謝罪の気持ちも無いように思えてなりません。 6月20日に来た少年C.から、私共の代理人宛に 「毎日日記を付け、月一回程度日記を持参して来る」 という内容の 『誓約書』 が送られてきました。

 美香さん、精神科医としての貴重な御意見ありがとうございます。 私たち被害者遺族は、精神的に不安定になっています。お酒が飲める人はお酒に、私のようにお酒が飲めない人間は、精神安定剤や睡眠薬のお世話になっています。それでも眠れない日々が続きます。 精神から内臓にも影響してきている人もたくさんいます。 これからも、色々相談させていただくかと思いますが、宜しくお願いいたします。 


2001年7月2日 月曜日 23:07:10
 6/30 (土) は大阪YWCA(大阪被害者相談室)主催の 「被害者への直接的支援とは」 という題目のシンポジウムに 「犯罪被害者の会」 の方々と行って来ました。大阪YWCAの皆さんは、池田小学校で起きた悲惨な事件でも積極的に支援をされていると聞いています。一時的な支援ではなく、継続的に支援していただけることが被害者支援に繋がると思います。
 今回のシンポジウムでは、常盤大学学長の諸沢 英道氏・大阪市立大学大学院の新 恵理氏・被害者支援都民センターの大久保 恵美子氏・警察庁被害者対策室長 安田 貴彦氏などがパネリストとして主席されていました。
 自らも被害者遺族である大久保 恵美子氏のお話は共感できるものがありましたが、エリート感情丸出しの警察庁被害者対策室長 安田 貴彦氏の話は、被害者の実態をまったく理解していない単なる 「戯言」 を述べているとしか思えませんでした。前任の太田室長同様自分の立場をわきまえていない官僚の一人であり、被害者相談室長としての意識が乏しいと思わざるを得ません。 個々の被害者の声を素直に受け入れることが第一歩だと思うのに、「全体的なことを考えるのが」という発想自体が矛盾していると思います。

 7/1 (日) は、「犯罪被害者の会」 『関西の集い』 に出席してきました。
この日は読売テレビ記者の堀川 雅子さんや、ジャーナリストの藤井 誠二さんと日垣 隆さんに来ていただき、『刑法39条(精神障害犯罪者)』 と 『改正少年法の現実』 などの説明と討論があり、とても勉強させられました。 このことについては、また後ほど報告させていただきたいと思います。