毎日ではないけど・・・

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2002年4月30日 火曜日 1:33:48
 無事大阪から帰って来ました。 久しぶりに仲間に会えて、素直に泣き素直に笑い合うことが出来ました。
もう日付が変わって、「今日(4月30日)、朝10時から上野公園入口前で、「ストップ ザ 交通事故」 交通事故被害者遺族の方の街頭署名を手伝います。 ご協力宜しくお願い致します。


2002年4月26日 金曜日 1:20:48
 「話を、聞いてください。」 を呼んでくださった皆さんありがとうございます。 思い出すのもつらいことなのに、でも伝えなくては解ってもらえない。 あの手記集は遺された家族が必死の思いで書いたものです。まだご覧になっていない方、是非本屋さんで買って読んでくださいね。 27日大阪で、「話を、聞いてください」 の出版を祝う会が行われるので、私も26日の夜から大阪行きます。 何日かホームページを更新できませんが、心配しないでください。


2002年4月25日 木曜日 0:37:02
 桜貝さん、このホームページが少しでもお役に立てたのであれば嬉しいです。『きょうだい』 を亡くすことはとてもつらいことですよね。『きょうだい』 を亡くされたある被害者遺族の方が仰っていました。「同じ遺伝子を持っているのは 『きょうだい』 だけ」 だって・・・ 本当にそうだと思います。 子供を亡くした親には同情が集まっても遺された 『きょうだい』 は、「あなたがしっかりしないと・・・」 などと周りから言われたりします。 『きょうだい』 だって悲しみ悔しさつらさは、親と同じ、あるいはそれ以上かも知れません。 NPO法人アピュイでも、親・きょうだい・子供などそれぞれの立場で集い、思いを話し合いたいと思っています。 
 長野県高校三年生さん、ありがとうございます。是非メール交換しましょう。私の場合愚痴ばかりになってしまうかもしれませんが・・・お気持ち、とても嬉しいです。


2002年4月23日 火曜日 1:33:23
 内閣府よりNPO法人アピュイの設立認証が下りたことで、何人かの方からメールやお電話をいただきました。ありがとうございます。 「全国被害者支援ネットワーク会長」東京医科歯科大学難治疾患研究所 山上 晧教授からもメッセージを頂き、appui のホームページ 「人とひと」 にアップさせていただきました。 友樹の死を無駄にしたくないという思いで頑張ってきましたが、これからも一人でも多くの方に被害者の現状を知っていただきたいので活動していきたいと思っています。皆様のご協力をお願い致します。


2002年4月21日 日曜日 2:16:03
 昨夜(20日)、高校時代の友人数人の集まりに誘われ出席してきました。 友樹の事件後も何度か誘っていただき出席したのですがその頃はまだ周りの友人も 『何て言葉を掛けて良いのか』 気を使って事件には触れないようにしてくれていました。でも昨夜は少人数でしたし、NPO法人アピュイの認可も下りたこともあり私から口火を切り、今後学校などへ講演に行きたいので協力してほしいことなどを話しました。皆子供がいます。真剣に話を聞いてくれ、「協力する」 と約束してくれました。高校時代の懐かしい話を聞いていると、ほんの一瞬、現実から当時に戻ったような錯覚も覚えました。 糖尿病から全盲になってしまった友人には小学校六年生の男の子が付き添って来ていました。けなげにお父さんの世話をする姿を見ていると、優しかった友樹が重なりました。 


2002年4月16日 火曜日 3:41:13
 周りの優しい人々に支えられ、今私は生きています。 これからも生きていかなければ・・・と思っています。 ありがとうございます。
 RIE さん、アメリカからメールありがとうございました。あなたの優しい心のこもったメールを感謝の涙とともに何度も読ませていただきました。お返事のメールを書こうとしましたが、日本語をサポートしていないと文字化けしてしまうのではないかと思い、ここに書かせていただきます。あなたがくださった二通目のメールでの申し出は大変ありがたいと思います。是非日本に帰られた際には、友樹に会いに来てやってください。あなたにお会いできるのを楽しみにしています。友樹もあなたのことを友人として待っていてくれると思います。


2002年4月14日 日曜日 23:05:37
 お墓参りに行きました、誰かが来てくれた形跡がありました、加害者の親かもしれません。 3/12娘とお墓参りに行った時、.の母親が慌てて帰ろうとしているところでした。その時の感じと似ていました。単にお花と果物を供え、お線香を上げてありました。しかし、心が感じられません。 私共の地域では故人が生前使っていたご飯茶碗・お椀・お箸やコップなどをお墓にお骨を納めるとき、一緒に持って行って置いてあります。 雨で汚れます。故人を大切に思うならそれらのお茶碗などをきれいに洗い、墓石や周りをきれいにしてからお花を供え、友樹が好きだった食べ物をきれいに洗ったお茶碗などに入れて供えます。 でも先に来た人の跡を見てもお茶碗などは汚れてお盆から転げ落ちたままになっていました。何故かタバコの吸殻まで落ちていました。
 .の母親は、さいたま保護観察所のT.課長に 「ウソを言っていると言われるのがイヤだからもう飯島さんのお宅には行きたくないと息子が言っていますので、お墓のほうに参らせて頂きます。」 と電話してきました。その言葉どおりにお墓参りをしたとしても、「申し訳ないことをしてしまった償いの為に、本心から友樹に謝るためにお墓に行っている」 とは感じられません。『単に、お墓参りをした形跡を残している』 としか感じられませんでした。
 今日は友樹の月命日でもありますが、山口県光市の本村さんの奥様とお子様の命日でもあります。もう丸三年経ったのですね。検察が最高裁に控訴したことで、司法の場で戦われるチャンスが残されました。奥様とお嬢様のため、そして全少年犯罪被害者の為にも頑張っていただきたいと思います。


2002年4月14日 日曜日 2:29:03
 ゲートボール場に行って来ました。先月は娘のアパートに泊まり込んで引越しの荷造りを手伝っていたので、ゲートボール場には行けませんでした。すっかり変っていました。暴行を受けた草むらには分厚く土が盛られ、ゲートボール場にも砂が入って、仕切りにあった角材の変りに防腐剤を塗った竹ざおが置かれていました。友樹を包んだ毛布が有ったという小屋は取り払われ、事件があったことを土を入れて覆い隠そうとしているように感じてしまいました。何箇所かにお線香を立て、空を見上げました。今日も星が輝いていました。声に出して友樹に謝りました。何度も何度も謝りました。息が白く見えました。 何度謝っても許されることではないし自分自身が許せない、来月で丸三年になるけれど毎日友樹の名前を呼んでいる。毎日謝っている。母親として至らなかったばかりにツライ思いをさせて先に逝かせてしまった。 後悔しても後悔してもしきれない。
 ただ、友樹は主犯各の加害者達とは面識が無かったことは事実です。少年達もそれは証言しています。決して暴走族がらみの不良グループと付き合いが有ったわけではありません。彼らの手下で呼び出し役のH.は友樹と同じクラスに居たけれどH.とも付き合いは無かった。 まるで違うグループだった・・・ 確かに原付バイクを盗んでしまった、一緒に盗んだ友人達に聞いたところ、鍵穴の横に穴が空いていて、前のカバーが外れかかっていて 『一旦盗まれて、そこに放置してあるのかと思った』 と言っていた、それも単なる言い訳にしか世間の人は受け取らないだろうけれど・・・ なぜ殺された人間が悪く言われるのだろう。 尊い命を残虐な暴力で奪われ、加害者は少年法で守られ名前も顔も住所も公表されず、被害者には人権もプライバシーもない。 息子を殺されたという事実と向き合うだけでも毎日がつらいのに、殺された側にも責任があったと言われるケースが多いから、被害者遺族は小さくなって隠れるように生活せざるを得ない。 むしろ、命を奪った加害者の方が堂々と生活しているのではないでしょうか。
 今夜も眠れそうにないから飲めないお酒を買ってきました。 無理やり飲み込んだらイヤなこと一時的にでも忘れられるのかな 


2002年4月7日 日曜日 23:46:46
 今日都内で行われた 「少年犯罪被害者支援弁護士ネットワーク」第2回経験交流会に出席してきました。この一年間の改正少年法下での刑事記録の閲覧・謄写、被害者側の意見陳述について弁護士活動報告がありました。「加害少年の更生のための被害者支援」 を訴える弁護士が多い中で、少なくとも今日出席されていた弁護士さんは、真剣に被害者支援を考えてくださっていると思います。民事裁判の中で加害少年を法廷に呼び事実確認をされて、被害者がもっとも知りたい真実・子供の最期の様子を加害少年から聞き出されたケースもありました。以前は泣き寝入りせざるを得なかった 「傷害事件」 も、民事訴訟を起こし戦っていらっしゃる方が多くなりました。 しかし、真実を明らかにする事・事実認定をしっかりやるということは民事ではなく捜査や刑事裁判で明らかにするべき事なのではないでしょうか? 原則逆送となったものの、まだまだ家庭裁判所の裁判官の判断によるところが大きく、たとえ逆送されても今の刑事裁判も、「被害者はカヤの外」 が現状です。 被害者が2次被害3次被害に遭わない世の中になって欲しいと思います。
 子供を殺された親は、誰に言われなくても毎日が後悔と自責の念で一杯です。 我が子を守ってやれなかった自分を責めます。 育て方が間違っていたから? 門限を設けなかったから? 息子の行動を逐一観察していなかったから? 原付バイクを盗んでしまったことを知らなかったから?  近所の人に出会うのが照れくさくて夜遅くに犬の散歩をさせていた息子に対し「こんな夜遅くに出かけてはいけない」 と注意しなかったから? 帰りの遅い息子を探しに行っていれば・・・ 何度も何度も後悔し、自分を責めてきました。 皆さんは自分の子供を被害者にも加害者にもしないよう、教育してください。 私のようにならないでください。


2002年3月31日 日曜日 23:23:37
 明日4月1日 「少年犯罪被害当事者の会」 の手記集 『話を、聞いてください。』 がサンマーク出版から発売になります。29日に発売になった『女性セブン』でも紹介されています。 ぜひ御講読お願い致します。


2002年3月28日 木曜日 1:11:37
 24日夜から娘のアパートに行っていました。アパートを変えるため引越しの手伝いをしてきました。
皆さんにお願いがあります。徳島に住む野口さんは弟さんを交通事故で亡くされました、署名活動の他にホームページを作成し、ネット上からも署名できるようになりました。リンクのページにアップしました、ご協力お願い致します。
インターネット署名へ←こちらからも署名できます。


2002年3月24日 日曜日 2:16:54
 もうお彼岸も明けてしまいます。 結局加害者側からは何の連絡もありませんでした。
 H.TAKATAさんの仰るようにフライデーでは、短期集中連載ということで5回にわたって  「命」 を奪った少年たち−その"贖罪"を問う というシリーズを組んでくださいました。 第一回目が香川県の竹治さん、二回目が青木さん、三回目が友樹、そして先の金曜発売の四回目は牛久の岡崎さんです。 岡崎さんの事件も加害者の父親が警視庁、兄が茨城県警ということで、通常では考えられないような湾曲した捜査をされています。ぜひ御講読くださいますようお願い致します。 尚、3/26 (火) 13時 10分開廷 於高松地裁、竹治さんの判決公判が。3/25 (月) 第三次訴訟 (牛久市と中学) 13時 10分開廷 於水戸地裁土浦支部 (最終弁論) 岡崎さん。3/27 (水) 第一次訴訟 (加害者と両親) 13時 30分開廷 於東京地裁 703 号法廷 (判決公判) 岡崎さん。 皆さん民事裁判で頑張っていらっしゃいます。 お時間のある方、ぜひ応援傍聴に行ってあげてください。


2002年3月20日 水曜日 23:27:30
 山形マット死事件ご遺族の気持ちを考えると言葉もありません。 警察・検察は取り調べ中のことは被害者側には何も教えません。その後の審判も密室の中。 子供を殺された上真実も教えてもらえず、真実を知りたいから必死の思いで民事訴訟を起こした。その民事訴訟の中で加害者側にアリバイがあった? どこに怒りをぶつければ良いのでしょう? 捜査をした警察・検察の責任はどうなるのでしょう? 「加害少年の保護」 に重きを置くばかりに事実認定をしっかりしないからこそ、こんなことになってしまうのではないでしょうか? 被害者遺族にとっては二重、三重、四重、の被害です。 今加害者とされている少年たちが本当に加害者なのか、それとも他にいるのか、人の命を奪った罪を隠し通して生きるなんて卑怯そのもの。 遺族は真実が知りたいのです。 本当のことを話して欲しいのです。
 今日、娘の卒業式でした。 朝早くからヘアメイクと袴の着付けをしてもらい、私も一緒に行きました。娘の学校の門をくぐるのは入学式以来です。 朝方吹いていた風も日中には収まり、汗ばむような陽気になりました。 この二年間娘は一人暮らしをしながら、友人にも恵まれ、今日の卒業式を迎えることができました。 よく頑張ってくれたと思います。 娘は友人と二次会三次会と出かけていきました。 私は娘が着替えて脱いだレンタルの中振袖・袴を持って帰ってきました。 娘とはこれからも離れて暮らします。 娘を守るためには地元には心配で置いておけないのです。 
 お彼岸だというのに、加害者側からは誰からも連絡がありません。


2002年3月16日 土曜日 4:20:13
 用事があって12日の夜から娘のアパートに行っていました。 留守中HPを更新することができず、申し訳ありませんでした。
 14日、山口県の母子殺害事件控訴審判決が 『無期懲役』 とニュースで知り大変残念です。裁判官は本村さんが席を立たれるまで申し訳なさそうに本村さんを見つめられていたと聞きましたが、過去の判例にこだわることなく、ご自分の判断で判決を下して欲しかったと思いました。 たとえ少年であろうと、命を奪った罪は命で償って欲しいと思うのが被害者遺族です。 何人かの方の御意見にもありましたが、このままの少年法では日本はダメになると思います。 また、少年が罪を犯さないよう周りの大人もしっかりしなくてはいけないのだと思います。 友樹の事件を教材に使ってくださった福井県の県立高校の先生、はっすぃーさんありがとうございます。 友樹の死を無駄にしないためにも、各地の学校などでお話させていただければ幸いです。


2002年3月12日 火曜日 18:40:48
 今週金曜日発売のフライデーで、友樹の事件が掲載される予定です。先々週からの短期集中連載  「命」 を奪った少年たち−その"贖罪"を問う 第3回目です。 


2002年3月12日 火曜日 1:01:24
 先日の日曜日お墓参りに行ったら、卒業式のとき胸につける 「卒業おめでとう」 と書かれたリボン飾りが供えてありました。 担任の先生が供えてくださったのか、同級生の誰かが供えてくださったのか分かりませんが、卒業式には出席できなくても一部の心やさしい人たちによって、高校を卒業できたようです。ありがとうございました。
 千葉県26歳男さんへ 御意見ありがとうございます。
「加害者と被害者の親」確かに紙一重かもしれません、現に原付バイクの窃盗に関しては 「加害者の親」 だったのですから・・・ 友樹の行動も100%把握していたとは言えませんし、信頼関係を100%築けていたとは言えないかも知れません。友樹はとても心の優しい子でしたので、私は友樹を信頼していました。内向的で無口な性格だけれど肝心なことは話をしてくれていたと思っていますが、それも今となっては分かりません。 後悔しました。 土日仕事なんか行かずもっとしっかり子供たちを看ていたらバイクなんか盗まなかったかもしれないし、たとえ盗んでしまってもそれがどんなに悪いことか言い聞かせ親子で謝罪に行っていれば・・・ 後悔して、後悔して、悔やんでも悔やみきれません。
 できれば「原付バイクの窃盗」という加害者の親のままでいたかった、被害者遺族になんかなりたいとは決して思わない。 世間の人は、「殺された人間はそれなりの理由があって殺されたのだろう」 と思いがちです。では殺されて良い理由とは何ですか? 凶器を使い、楽しんで暴力を振るい命を弄び嬲り殺して良い理由などあるのでしょうか? 以前にも、「バイクを盗んだのだから自業自得だ」 と意見をいただいた事があります。では、命を盗られたものはどうすれば良いのでしょうか?
>飯島さんの立場であるからこそ社会に訴えることができる事ってあると思います。
その為にNPO法人を立ち上げました。これ以上加害者も被害者も出て欲しくないから。被害者遺族の現状を知っていただくことで 「命の大切さ」 「人を思いやる心」 を今以上に知って欲しいから。 各地の学校・少年院・企業・法曹界の方々に訴えて行きたいと思っています。 お返事になったかどうか分かりませんが、今の私の正直な気持ちです。


2002年3月10日 日曜日 14:54:11
 少年犯罪事件遺族は真実を知ることは困難です。しかし、交通事故の遺族もまた真実を知るべく戦っています。
児島健仁君(ケント君 当時18歳)は、2000年5月、バイクで登校途中、配達中のヤマト運輸のトラックと衝突し意識が戻ることはなく、2週間後亡くなりました。詳しい内容は 「ケントは今も私たちの中に生きる」です。なおHP上から署名ができるようになっています。ご協力お願い致します。


2002年2月26日 火曜日 23:43:32 
 今日友樹は18回目の誕生日を迎えました。 ケーキを買って娘とお墓参りに行き、18年前の今日大雪だったことをまた繰り返し娘に話してしまいました。 夕飯は友樹の大好物のカレーと唐揚げを作りました。娘は今日の日の為に下宿先から帰ってきてくれました。 かけがえのない姉弟と家族の為に・・・
 18才になったと信じたい。 あれから身長も伸びたのかな、177cmだった身長はもう180cmを超えたのかな。体重も増えたのかな。 大人っぽい顔つきになったのかな。 私達の行動をどう思っているのかな。 聞きたい。 話したい。 会いたい。 ひと目でもいい、姿を見たい。 


2002年2月22日 金曜日 22:29:19
 今日は風もなく穏やかな一日でした。 さいたま市民会館浦和にて、「埼玉犯罪被害者援助センター設立記念講演会」 があり、財団法人・被害者支援都民センター専務理事 青木俊一氏と、交通死亡事故ご遺族・生命のメッセージ展実行委員 鈴木共子氏の講演がありました。 鈴木さんは、平成12年4月に、大学生(19才)のご子息を無免許・飲酒・無車検・無保険の暴走車により亡くされました。その後都民センターの大久保さんたちによる被害者援助を受けながら、ご遺族の立場から、悪質ドライバーによる交通犯罪の厳罰化、民間被害者支援団体の必要性を強く訴えてこられました。 『生命のメッセージ展』 の実行委員として、全国において生命の重さ、大切さ、尊さを語りつづけていらっしゃいます。『生命のメッセージ展』 では友樹もお世話になっています。鈴木さんは自ら綴った詩を朗読しながら、大切な家族を奪われた悲しみ・法律への不信感などわかりやすくお話されていました。 
 埼玉県にも 「埼玉犯罪被害者援助センター」 が設立されるということで、現埼玉県警察 犯罪被害者対策室長兼犯罪被害者相談センター所長の岡田氏にも会ってきました。相談業務開始は5月を予定しているとのことでしたが、被害者の声を十分に聞き、他の被害者支援グループとの連携をとり、「相談して良かった」 と思われる援助センターになってほしいと思います。


2002年2月14日 木曜日 22:32:31
 以前から取材を受けているテレビ局の製作会社が、「普段の生活を撮影させていただきたい」 と朝から来てくださいました。 仏壇に供える花を買いに行くお店では、快く取材に協力してくださり、事情を知ったお店の方が友樹の為に素敵な蘭をプレゼントしてくださいました。 私がマスコミの取材を受けることで被害者の現状を広く世間に伝えることができ、「何年経っても絶対過去のことにならない」 ということを加害者たちと関係者に少しでも伝えることができたら良いと思います。


2002年2月14日 木曜日 1:40:20
 今日は友樹の月命日、事情があって午前一時頃ゲートボール場には行けませんでした。 現場へ行かなくとも毎月毎月、時間ごとに凄惨な場景が目に浮かびます。 加害者たちの足も遠のきつつあります。 かといって現実問題として何が出来るというのでしょう。
 昨日、友樹が一ヶ月ほどお世話になった高校の校長先生に、「卒業式で 『命の尊さ・人を思いやる心』 についてお話させていただきたい」 と電話しました。直接お会いしてお話したかったのですが、「入試を控えているので、外部の人の出入りはお断りしている」 との事。 「せめて卒業式に友樹の写真を持って出席させていただけないでしょうか?」 と申したところ、「外部の方を入れるわけにはいかない」 と言われました。 友樹の通っていた高校では、昨年の春〜夏にかけて友樹と同じ学年の生徒が、暴行傷害事件で何人か逮捕者が出ています。 友樹の事件が何の教訓にもなっていないということではないでしょうか? 悲しいことです。 今回の校長先生の対応も、「臭いものには蓋をして、新たな生徒を迎え入れる大切な 『入学式』 を無事済ませてしまいたい」 と思っているように感じられました。 校長先生の心の中でも友樹の事件は 『過去の事』 になっているようでした。 卒業式で友樹のことをどのように扱うかということに関しては、「全く頭になかった」 と仰っていました。教育とはいったい何なのか考えさせられました。


2002年2月10日 日曜日 23:23:55
 8日から横浜のSOGOで、「生命のメッセージ展」が行われています。 行こうと思いながらなかなか時間が取れず、明日が最終日なので何とかオブシェの友樹に会いに行こうと思っています。 横浜近郊の皆様もぜひ友樹に会いに行ってやってください。


2002年2月7日 木曜日 23:37:44
 友樹の夢を毎晩見てくださるという、吉川様ありがとうございます。加害者たちと同じ年齢の方に、温かい言葉を頂き、また純真で純粋な心が文面から伝わり、とてもありがたく嬉しく思いました。 最近、ホームページの管理が難しいと感じていた中で、救われる思いでした。他の皆様からのご配慮にも感謝しております。


2002年2月4日 月曜日 1:13:56 
 いつの間にか立春、暦の上では春になったのですね・・・。 でも大切な家族を殺された私たちに、本当の春は永遠に訪れないように思えます。 気持ちの上で寒中でも、「寒中見舞い」を出す訳にも行かず、年賀状を頂いた方には、この場を借りてお詫び申し上げます。

花子の母さんからのメッセージを加害少年と、その親に見せたい思いです。


2002年2月1日 金曜日 3:53:00
 たくさんの方々の協力のもと、「特定非営利活動法人 犯罪被害者支援の会 appui (アピュイ)」のホームページを公開することが出来ました。 友樹のホームページ同様よろしくお願いいたします。


2002年1月31日 木曜日 23:59:53
 今日、さいたま市民会館浦和にて、埼玉県犯罪被害者支援推進協議会・埼玉県警察犯罪被害者相談センター主催 「犯罪被害者支援特別講演会」 演題 「被害者の実態と必要な支援」 講師・社団法人被害者支援都民センター事務局長の大久保恵美子氏による講演会がありました。 私は、今日の講演会の情報を兵庫県の被害者仲間から連絡を頂き、急拠埼玉県警本部に問い合わせました。「受講対象者は、警察や行政・県の職員だということでしたが、席に余裕があるので一般の方も入れると思います。」 と言われ、行って来た次第です。 大久保さんのお話はとても分かりやすく、被害者全般の現状と必要な支援を話してくださりとても勉強になりました。 しかし、主催者にお願いしたことがあります。それは、埼玉県内にも犯罪被害者・家族はたくさんいらっしゃるので、「話したい」 という被害者の声を今後聞いてほしいということです。「地元の被害者の声を聞こう」 という姿勢を持ってほしいとお願いしました。


2002年1月29日 火曜日 2:17:29
 1月24日、少年Aの保護観察期間が終了し、晴れて自由の身になりました。最後の最後まで、さいたま保護観察所のT.課長が彼を説得してくれましたが、9月14日少年院を仮退院した日の夕方T.課長に伴われて来たきり、「うそをついている」と言われるのがイヤだという理由で、我が家には二度と来ませんでした。
事件当時18才だったは少年院の中で成人しました。その関係で満期収容の1月24日前に仮退院させ、満期収容期間まで保護観察がついたのです。 保護観察期間中彼は教習所に通い車の免許を取得し、今は一応真面目に働いているようです。 私は正直な気持ち、彼を仮退院させる必要があったのか疑問を感じています。 真面目に働いているから更生したとは言えないと思います。自分のしたことを本当に反省しているなら、どんな罵倒を受けようと何度も何度も、「お線香を上げさせて下さい」と向こうから来るのが 「誠意」 なのではないでしょうか。 親も依然として 「ウチには電話は引いていません。」 との前で、堂々と私にウソをついています。母子には、誠意のかけらも感じられません。


2002年1月23日 水曜日 1:11:23
 スイートピーさん、『不愉快な思い』 なんて、とんでもありません。勇気を持ってメールを下さった事感謝しています。いじめを受けているたくさんの方々にも、きっと通じるものがあったと信じています。 いじめも犯罪だと思います。被害者はトラウマから抜け出ることは容易ではありません、日々戦いです。長く暗いトンネルからいつ出られるか、先が見えないだけに余計不安になったりします。 気持ちも不安定になります。 これからも息子さんを温かく見守ってあげてください。


2002年1月15日 火曜日 22:34:25
 ホームページを開設して以来、たくさんの方に訪れていただき、ありがとうございます。中でも 『何か出来る事を協力させてください』 と言う内容のメールをたくさんいただきました。皆様の善意をどのような形で協力していただくのが一番良いのか悩んできました・・・ 
 一方では、まだまだ声を上げることの出来ない被害者の方々がたくさんいらっしゃる現状があり、私に何が出来るのかずっと悩んできました・・・ 色々な方に相談し、『犯罪被害者による犯罪被害者を支援する目的で、NPO法人設立すること』 を目標に今日まで各方面の方々の協力の下準備を進めてまいりました、そして本日、内閣府に 『犯罪被害者支援の会 appui (アピュイ)』 として特定非営利活動法人設立認証申請を行い、受理されました。
特定非営利活動法人とは一般的にNPO法人と呼ばれ、役員などすべてボランティアで参加しています。活動費などは、有志の方々の『寄付』で賄われます。会員の種類は 「正会員・準会員・支援会員・一般会員・賛助会員・名誉会員」 があり、一般の方でもこの法人の目的に賛同し法人の活動を推進してくださる方であれば、入会することが出来ます。企業・団体の方も 「賛助会員」 として協力をお願いできれば幸いです。
 今、「特定非営利活動法人 犯罪被害者支援の会 appui (アピュイ)」のホームページを作成中です。公開出来次第、このページで紹介させていただきますので、よろしくお願いいたします。

2002年2月1日 金曜日 「特定非営利活動法人 犯罪被害者支援の会 appui (アピュイ)」のホームページを公開いたしました。


2002年1月14日 月曜日 23:57:32
 お陰さまで娘も無事、成人の日を迎えることが出来ました。 お天気にも恵まれ、たくさんの方から祝福され、きっと娘にとって思い出に残る 『成人の日』 だったと思います。 ご心配いただいた皆様、本当にありがとうございました。 


2002年1月14日 月曜日 2:24:46
 ゲートボール場の空は、きれいな星空でした。 しかし、友樹が主に暴行を受けた草むらには残土らしき土が積まれていました。 何事も無かったかのように覆い隠してしまうのでしょうか? 悲しいです。


2002年1月13日 日曜日 11:01:17
 皆さんにご心配をお掛けしている娘の成人式ですが、娘の 「出席したくない」 という気持ちを優先に考え、晴れ着は着るものの 『式』 には出席しないことにしました。 友樹の月命日でもあるので、晴れ着を着た娘と友樹のお墓参りをし、私の実家でささやかなお祝いをすることになりました。 「成人式」 には出なくても一生の思い出になるような一日にしてあげたいと思っています。


2002年1月8日 火曜日 0:52:37
 娘は現在新しい環境で一人暮らしをしながら学校に通っています。多分回りの人には友樹の事件のことは、話をしていないと思います。今はコンサートやライヴに友人と出かけたりして、気を紛らわせているのだと思います。突然弟を理不尽な暴力で殺され、顔が紫に腫れ上がった遺体と対面した気持ちは言い表せないものがあったと思います。まして、加害少年が中学校の同級生とその一つ上で、顔を知っていた。地元で関係者に会いたくないと思う気持ちは、私にも良く分かります。 

でも、事件のこと、その時の自分の気持ちなどを人に話せる時期は人によって様々だと思います。 事件当時高校三年生になったばかりの娘は、自分も悲しいし、辛いし、悔しい思いもあったと思いますが、私への配慮もしてくれたのだと思います。 いくら仲の良い友人に話しても空しい時があります。 同じように、兄弟を殺された立場の人と出会えた時、始めて本心から話ができるのではないかと思っています。

 娘には、友樹という弟が居たという事は忘れてほしくないけれど、事件のことはなるべく早く忘れて、新しい環境で学生生活を楽しんでほしいと思っていました。しかし以前、兄弟を亡くされた方々と話をした時、親にも言えない深い悲しみをずっと抱いていることを知らされました。 彼女たちはすでに社会人だったり、結婚したりしていました。 娘にも時期が来たら胸のうちを吐き出させてやらなければならないと思いました。


2002年1月7日 月曜日 1:28:21
 昨日都内で娘と待ち合わせをして買い物をしました。成人式のこと、改めて聞いてみましたが 「中学校の同級生には誰にも会いたくない気持ち。」 ということでした。娘も友樹同様内気な性格のため、加害者やその仲間の顔も見たくないのでしょう。 加害者側が大きな顔をして堂々と出席するのは、正直気分のいいものではありません。出来れば自粛してほしい。それも友樹に対する誠意だと思うのですが・・・


2002年1月2日 水曜日 22:10:02
 いつになったら、何のためらいもなく新年のお祝いの言葉が言えるようになるのでしょう。今はまだものすごく抵抗を感じ、新年を祝う気持ちにはなれません。娘も用事があって帰って来られないし、いつもと変わらない一日を過ごしています。何枚か頂いた年賀状、返事は 『寒中見舞い』 で許していただこうと思います。
 沖縄は気温20度との事、北海道はマイナスでしょうね、狭いようでも日本は広いですね。皆さん今年もどうぞ宜しくお願い致します。


2001年12月31日 月曜日 23:44:20
 今年もたくさんの方にこのホームページへ訪れて頂き、またたくさんの励ましのメールを頂きまして、本当にありがとうございました。 北海道から沖縄石垣まで同じ立場の仲間と出会うこともできました。このホームページが友樹の事件だけではなく、少年に我が子を殺された親御さん達のやり場のない気持ちを吐き出す場になってこれたことも、ホームページを開設して良かったと思えることの一つです。 私たちにとっては、「暦の上で年が変わるだけ」 のことですが、来年も宜しくお願い致します。 新年が全世界の皆さんにとって、平和で良い年でありますように・・・


2001年12月30日 日曜日 22:59:10
 今日も一人の加害少年が日記を持って来ました。 事件の事を聞いても真実は見えてきません。それでも 「約束を守る」 行為は、守らない少年よりはまだマシな感じがしました。 今日来た少年も娘と同級生で年明けに 『成人式』 を迎えます。「出るの?」 と聞いたら、「友人に出て来いと誘われているから、出ようかと思ったんですけど、先輩が来ていると困るんで・・・まだ迷っています。」 と言っていました。 迷う理由が違うように感じました。
 今年も残すところ後一日、真実を求めてこの一年も、加害少年達とその親との接触で始まり終わるような気がします。


2001年12月30日 日曜日 1:51:59
 我が子を理不尽な暴力によって殺されても、「罪を憎んで人を憎まず」 と加害者を許せる人が果たして何人いるのでしょうか? 「加害者をいくら憎んでも息子は帰ってこない」 そんな事、自分自身一番良く分かっています。真実が知りたいから加害者と会い、少しでも反省の色が見えてくればその子に対する感情は微妙に変化していくかも知れません。 警察・検察が納得のいく捜査をしてくれて、事実認定がしっかりなされて、『法律』がしっかり加害者を裁いてくれるのなら被害者・遺族の気持ちもいくらか違うでしょう。 しかし、自分の息子が 『いつ・どこで息を引き取ったのか』 も特定されず、加害少年の保護・更生のみに重点が置かれ、被害者・遺族はどこからも保護されない現状では、『警察や加害少年達への憎しみ』 が生きる支えにさえなることもあるのです。 私は友樹の死を絶対無駄にしたくない。 1/4 PM 7時からのNHK 「ニュース7」 を見て下さい。


2001年12月27日 木曜日 23:11:20
 田中さん、私も娘には成人式に出てほしいと思っています。一生に一度の成人式ですから・・・ 送り迎えして娘の身の安全を確保して・・・ もう一度娘の本当の気持ちを確かめてみたいと思います。
皆さんにご心配頂き、本当にありがとうございます。


2001年12月24日 月曜日 20:26:56
 世間ではクリスマスイブで、華やかな飾りつけと音楽が鳴り響いています。我が家だけではなく大切な家族を殺された被害者遺族にとってその光景は、『自分達とは無関係な別世界の出来事』 のような感覚でしかありません。 小さなお子さんが残された家庭では、親は辛くとも残された子供のためにクリスマスを祝うでしょう。 中にはクリスマスが、大切な家族の命日という方もいらっしゃいます。 この季節は被害者遺族にとって辛い時期です。
 友樹がまだ元気な頃、大好きな唐揚げなどを作り、クリスマスケーキを買って家族で食べた。そんな何でもない事が、懐かしく、二度と叶わない悲しい思い出になってしまいました・・・
クリスマスプレゼントをねだってほしい・・・


2001年12月20日 木曜日 20:15:36
 先週末、娘が帰って来ていました。成人式用の記念写真を前撮りする予約をしていたのです。晴れ着を作った時、「会いたい友達がいるから成人式には出たい」 と言っていました。 先日北川辺町教育委員会から 『成人式のご案内』 が届き、出席・欠席を返信するようになっていました。しかし娘と同級生だった加害者も含め全員が社会復帰し、普通の生活を送っています。中には堂々と結婚式の披露宴に出席していた加害者もいます。 主人の母は心配して、「成人式は出ないほうが良い」 と娘に言ったようで、娘も納得したようです。 
 一生に一度の成人式まで、被害者・遺族は出られないのです・・・「せめて晴れ着姿の写真とビデオをたくさん残そうね」 と娘と話しました。


2001年12月15日 土曜日 23:59:38 
 夕方、板倉町の加害者2人が母親と共に来ました。7月に来て以来、何の連絡も無かったのに・・・彼らの日記は 『今日はこんな仕事をした。』 という単純なものだったので、『君たちが反対の立場だったら、相手にどんなことを書いて欲しい』 と聞き、『一日5分で良いから、その日あった事・思った事・感じた事・事件について思い出した事を書いてよ、この日記からは何も伝わってこないよ』 と言いました。 帰り際一人の母親に、「飯島さんが学校に電話したお陰で、ウチの息子は自主退学させられたんです。本当は続けて勉強したかったのに。飯島さんにとってはウチの息子が生きていること自体気に入らないのかも知れませんが、今昼間バイトして夜学校に行っているんです。どうか、温かく見守ってやってください。」 と言われました。
 事件後確かに、加害者2人を出した専門学校に電話をして(2000年 1月 19日 (水)) 「2人の加害者を出した事を学校側はどのように思っているのか、今後どのように指導をしていくのか。出来るなら退学などさせず、二度とこのような罪を犯さないよう指導していって頂きたい。」 と電話をしました。学園長・担任の先生などが電話をした後謝罪に来た時にも、お願いをしました。 その頃加害者側からは一切の謝罪も無い状態でした。 私が学校に電話をしたから自主退学をさせられたと、私に抗議する母親に対し 「『自分の息子が、かけがえのない大切な人様の命を奪ったのだ』 という認識を、まず あなた達、『親』 が持って欲しいですね。」 と言いました。


2001年12月14日 金曜日 23:57:32
 日中お墓参りに行きました。誰か来てくれたのかお花とコーラが供えてありました、2〜3日前までは無かったものです。 加害者のうちの誰かが月命日を覚えていてお墓参りをしてくれたのであれば、その子にはまだ 『心』 があると思いたいです。


2001年12月14日 金曜日 2:25:07
 ゲートボール場と新古河駅にお線香を上げに行ってきました。日中雨が降っていたのに、風が吹いて雲を飛ばしてくれたのか星空がきれいでした。 友樹も暴行を受けて倒れたとき、空を見ることは出来たのでしょうか。それとも、もう目を開けているだけの体力も残っていなかったのでしょうか。 ゲートボール場に行って空を見上げるたびに、そんなことを考えてしまいます・・・


2001年12月12日 水曜日 0:07:47
 加害者の対応も様々になりました。電話番号を変更していても、「ウチには電話は引いていない」 と言い張る親、連絡先だと教えられた携帯に電話してみると、すでに解約していた親。 もう何ヶ月も来ていない加害者、一回来たきりの加害者。 でも中には真剣に事件の事を考えていると思える加害者もいます。 彼らのやったことは一生許せないけれど、自分の犯した事を真剣に受け止めようとしている姿を見せられると、「この子には、もう二度と同じ罪を犯すことなく真面目な生活を送ってほしい」 と思えることがあります。それでも一生、友樹を自分達の手で殺した事を忘れず 『一生が償いだ』 と思ってほしいと思います。


2001年12月10日 月曜日 23:29:08
 昨日は朝から忙しい一日でした。 母親の親戚で法事があり母親の姉妹の家を車で回って、送って行きました。 帰りがけ、前から約束していた娘さんを殺された方の家に行きました。一番下の息子さんの誕生日が 12/1 でした。小学校六年生の彼はとても素直な性格で、私が遊びに行くと喜んでくれます。最近彼とメールの交換をしています。彼の誕生日にプレゼントしたかったのですが、何がいいのかメールで聞いても、『言っても分からないと思うから、一緒に探しに行こう!!』 と約束していたのです。 ケーキを買って彼の家に行くと、すでに彼は私へのプレゼントを用意していてくれました。大きなプーさんのぬいぐるみです。とても嬉しかった・・・ 彼は友樹の小さい頃によく似ています、髪の毛の質、後姿。 彼と二人で買い物に行きました、一所懸命ゲームソフトを探す様子までも友樹そっくりでした。 何とかお気に入りのソフトが見つかったので、やっと彼にプレゼントすることが出来ました。 彼もとても喜んでくれました、私も楽しいひと時を過ごすことが出来ました。 ほんのひと時友樹が小学校六年生に戻って帰って来て、ゲームソフトを一緒に買いに行ったような感覚になりました。目を輝かせてソフトを見て回る友樹の姿と重なりました。


2001年12月5日 水曜日 19:30:19
 今日は私の誕生日でした。去年も自分だけが生きて年を重ねていくことが友樹に申し訳なくて、一日泣いて過ごしました。 今日娘から 『大好きなママへ、お誕生日おめでとう』 と音楽入りのメールが届きました。 嬉しかったです。 自分の誕生日を祝う気持ちにはなれないけれど、娘の気持ちが嬉しかった・・・


2001年12月2日 日曜日 23:26:39
 ウイルスが猛威を振るっているようです。 今日私の個人のメルアドに一件、ホームページのメルアドには五件送られてきました。 オンラインでウイルス検索も出来ますので、皆さんも一度検索してみてください。 
 今日いつも行く花の苗を売っている農園に行ったところ、パンジー・ビオラの新品種がいつもは一つ\180〜\200しているのに、今日は一つ \100で売っていました。何だか嬉しくなってたくさん買って来てしまいました。お陰で暗くなるまで鉢植えに追われてしまいました。 何にもやる気になれない日と、頑張れる日と極端です、でも気にしても仕方ないので何にもしたくない日はゴロゴロしています・・・


2001年12月1日 土曜日 21:20:18
 本日雅子様に女のお子様が誕生され、久しぶりに明るいニュースが流れたようです。
私は今日都内のある中学校の三年生を対象とした総合学習で、講師として招かれ拙い話を聞いていただきました。不慣れなため多少時間をオーバーしてしまいましたが、聞いてくださった生徒さんが一人でも 『命の大切さを』 を感じ取っていただければ幸いです。 これからも、このような機会があれば友樹の死を無駄にしないためにも、頑張ってお話させていただこうと思いました。 今日お世話になった中学校の校長先生はじめ先生方、真剣に最後まで話を聞いてくださった生徒さんに感謝いたします。


2001年11月29日 木曜日 3:09:12
 先日の夕方から夜にかけて、ウイルスが送られてきました。 メールのウイルス検索もしていたのですが、最新のウイルスらしく、ウイルスとして感知できませんでした。 このウイルスは、WORM_BADTRANS.B 別名 W32/BADTRANS.B  トロイの木馬型(ワーム型)不正プログラムで、自身のコピーをメールに添付して送信し、ネットワーク上で自己増殖するワーム活動を行います。また、侵入したマシン上でのキー入力を記録するハッキングツール的活動も行うそうです。 アドレス帳以外「マイドキュメント」および「temporary Internet file」フォルダ内から取得できたメールアドレスにも自力で送信するため、メーラーの送信履歴には残りません。 私の気付かない所にもウイルスが添付されたメールが送られている可能性があります。 みなさん、不審な添付メールは絶対開かずにそのまま削除してください。
IPA セキュリティセンター(情報処理振興事業協会)http://www.ipa.go.jp/security/topics/newvirus/badtrans-b.html
ここに、詳しい情報が掲載されていますので、是非ご覧になってください。
私の不注意からご迷惑をお掛けしてしまった皆様、本当に申し訳ありませんでした。


2001年11月27日 火曜日 0:00:02
 長い間、更新できなくて皆さんにご心配をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした。
高松地裁で行われた少年犯罪事件の応援傍聴に出かけました。法廷に加害少年を呼べても事件のことについては、聞いてはいけない事になっていて、聞けることは「親の監督責任」についてだけでした。裁判官の裁量によるところが多いようです。真実が知りたいから民事裁判を起こしても真実を聞けないのです。他の少年犯罪の民事裁判では少年に事件の事を聞けるところもあるようです。何の為に民事裁判を起こしているのか、被害者の心情を察してくれる裁判官かどうかで、被害者・遺族の心は余計に傷つけられることもあるのです。 今回、香川県や徳島県の方に大変お世話になりました。 もう少し落ち着いたら、ぜひ四国八十八箇所巡りをしてみたいと思いました。 今月はまだ加害少年から連絡がありません、彼らの方から連絡が来るのをなるべく待ってみようと思っています。
 昨日は友樹のお墓に植えてある花を思い切って全部冬に強い花に植え替えてきました。パンジーも品種改良されて冬の間中も咲き続けるようになりました。
 これからもマメに更新していきますので、よろしくお願いいたします。私の健康を心配してくださる皆さん、本当にありがとうございます。


2001年11月3日 土曜日 23:51:54
 今年も後2ヶ月足らずになり、街中はクリスマスの飾り付けや年賀状の発売など、賑やかになってきました。
私たち被害者・遺族にとって、とてもつらい時期になります。 自分たちだけ別世界へ紛れ込んでしまった感覚に襲われたり、普通の家庭がとても幸せそうに感じてしまいます・・・今年も年賀状は出せそうにありません。
 青木 悠君のお母さん、良道君のお母さん、富永さん私たちは子供を殺され、その悔しさ・つらさ・悲しみ等を訴える場所さえ無いのが現状ですよね、つらい胸のうちを聞かせてください。 被害者・遺族の現状をどうぞ訴えてください、HPを遠慮なく利用してください。

 先月18日、とうとう主犯のA.が少年院を仮退院になり、さいたま保護監察所のT.課長に伴われて、その日の夕方来ました。 事件について真剣に反省しているようには思えませんでしたし、彼の目は真っ直ぐ私の目を睨みつけるように見据えていました。 28日には.が、30日にはB.が一人で来ました。A.が帰ってきていることもすでにB.は知っていました、コンビニで偶然遭って話をしたといいます。
加害者の家族は、普通にクリスマスお正月を家族そろってお祝いするのでしょう。 何事も無かったかのように・・・


2001年10月27日 土曜日 22:50:45
 先週の日曜日、ご近所の息子さんの結婚式がありました。 その息子さんとウチの娘は同じ年で近所という事もあり、小さな頃は良く一緒に遊んだものです、もちろん友樹も一緒に・・・ 披露宴の御席表を先日見ました。 そこには新郎友人としてこの春少年院から出てきた少年D.の名前がありませた。 少年D.は 6/11 に母親と一緒に一度来たきり 連絡もありません。 こちらから教えられた携帯へ電話しても呼び出し音がなっているのに出ないし、折返し掛けてくる事もありません。 とても誠意があるとは思えないのです。 
 でも、これが現実なのですね。 人の命を残虐な暴力で奪っても少年法で守られ、事件から一年十ヶ月足らず少年院に入って重機取り扱いの資格まで取れて、帰ってくれば普通の生活に堂々と戻れる。 友樹は二度と帰って来れない、私たち家族も二度と元の生活には戻れないのに・・・


2001年10月27日 土曜日 0:21:39
 のど風邪の方もだいぶ良くなりました、皆さんに私の体のこと等色々心配していただき、本当にありがとうございます。
チェリ→さん、私も自分が被害者遺族になるまで、ニュースで事件報道を見てもやはり他人事でした、毎日のように事件は起こります次々起こる犯罪に麻痺していました。 チェリ→さんが 『ごめんなさい。。。ごめんなさい。。。』 と謝ってくださいましたが、私も他の犠牲者の方々にお詫びしなければなりません。 いつ自分または家族が被害者・加害者になってもおかしくない世の中になってしまったのですね。
 友樹の事件が起きるまでは、世間知らずのただのおばさんでした。友樹が殺され、しかも加害者全員が少年という事で警察には不等な捜査をされ、加害少年達には人権もプライバシーもあり、被害者の権利・人権はゼロだということを思い知らされました。 もっともっとたくさんの方に被害者の、被害者家族の現状を知っていただけるよう、これからも私なりに頑張っていきたいと思います。
皆様、これからもよろしくお願いいたします。 


2001年10月23日 火曜日 0:22:29
 皆さんに色々御心配をお掛けしてしまって申し訳ありません。 私はお酒が飲めないので、精神安定剤と睡眠薬は手放せなくなってしまいました。 被害者はお酒を飲んで酔っ払って眠るか、睡眠薬に頼ってしまいます。 事件後何も食べる気にならず体重もひどい時は事件前から10kgくらい減ってしまいました。 最近何とか少しずつ戻りつつありますが、それでも 「今日はたくさん食べられたな」 と思うと突然下痢をしてしまいます。 体が食物を受け付けなくなってしまうのです。 病院で何回か点滴もしてもらいました。 神経から頻脈と不整脈が出てその薬も飲んでいます。 加害者がいつ出てくるかいつ出てくるか毎日連絡を待っているとき、神経性胃炎にもなりました。 他の被害者の方も体に何らかの影響が出ています。 みんな辛い中日々生活を送っています。 「亡くなった大切な人の死を無駄にしたくないから頑張っています。」


2001年10月20日 土曜日 3:48:49
 今日は早く寝ようと思いながら、こんな時間になってしまいました。 睡眠薬を飲んでもなかなか眠れない日々が続いています。 朝晩の寒さも厳しくなり、のど風邪もなかなか完治してくれません。 今は御報告できませんが、ショックなことがありました、心の中に北風が吹いているような感じです。 少し疲れが出ているのかもしれません。 


2001年10月16日 火曜日 23:23:47
 良道さんのお母さん富永さん、そうですよね。 加害者は憎い、絶対許せない、でも誠意が見たいんです。 誠意を感じたいのです。 加害者が 「心の中で毎日謝っています。」 と言っても、それをお線香を度々あげに来るとかお墓参りを欠かさずするとか、行動に表してくれなければ何も伝わってきません。 少年院から出てくる時でも、家族には一週間くらい前に、「何日に出院するので迎えに来てください。」 と連絡があると聞きます。 本当に申し訳ない、謝罪させてくださいという気持ちがあるのなら、なぜ少年院から連絡が有った時に 「何日に息子が帰ってくるので謝罪に伺わせてください。」 と連絡してこないのでしょうか。 の母親の誠意を見たいと思います。 他の少年達・その親達の誠意が見たいです。


2001年10月14日 日曜日 23:12:48
 今日は友樹の月命日、昼間一人でお墓参りに行きました。
お墓に植えた花々は、まだ元気に咲いてくれています。 加害者がお墓参りに来たようすは感じられませんでした。 わざわざお墓の地図を書いてくださいと言っていた加害者もいたのに、実際には今まで 「誰かが来てくれたんだな」 と思える事はありませんでした。 期待をするほうがおかしいのでしょうか?  


2001年10月12日 金曜日 23:54:13
 お天気は良くなっても気持ちは晴れない・・・


2001年10月11日 木曜日 0:28:25
 朝から一日中雨で、気持ちまで暗くなるようでした。
「頑張ろう」 と思える時と、無性に悲しくなる時と、何もしたくない時と、すごく落ち込む時と、一日の内でも気持ちが目まぐるしく変わります。 そんな自分が変なのではないか、と思ったり。 仕方がないと思ったり、自分で自分が解らなくなる・・・
友樹、会いたいよ。 「ママどうしたの?」 って聞いてよ。 いつも一番最初に聞いてくれたじゃない


2001年10月10日 水曜日 1:19:26
 ここ数日の疲れが出たのか、だるい一日でした。
御意見欄で、毛利弁護士の署名活動に対する意見の対立がみられます、意見の相違があるのは当たり前のことですが、個人を特定しての攻撃は、できればこれ以上して欲しくありません。 もともと私が毛利弁護士の署名活動のメールを取り上げたのが発端です。 できるだけたくさんの方の御意見をそのまま 「御意見」 に掲載させていただきたく思っていますが、これ以上の個人攻撃はご遠慮していただきたくお願いいたします。


2001年10月9日 火曜日 3:35:39
 5日から大阪入りして、6日 「少年犯罪被害当事者の会」主催による第三回 『WILL』 に出席させていただきました。 第一回目の時は、事件から半年も経っていなくて、会場で泣いてばかりで何も言えませんでした。二回目、事件から一年半が過ぎようとしていた時、泣きながらも自分で、考えていった原稿を読みあげる事が出来ました。
そして、今回思い切って壇上に上がり、発表させていただきましたが、緊張で会場を見る余裕もなく、涙を拭き拭き原稿を読むのが精一杯でした。私たち 「非著名事件」 の被害者・遺族が心境を述べる機会は、まだまだ少なく、貴重な時間をいただけたことを感謝しています。
今回の 『WILL』 にボランティアでお手伝いをしてくださった学生の皆さん、会場へ来てくださった皆さん、本当にありがとうございました。


2001年10月2日 火曜日 3:40:04
 良道くんのお母さん、お辛いなかメールいただきありがとうございます。 同じ立場でないと、同じ経験をした者でないと、本当の苦しみ・つらさ・悲しみは、理解することは不可能だと思います。 その意味で、『WILL』 でお会いできるのを楽しみにしています。

 幸い私はホームページを通じ、たくさんの方から励まされ、こうして日記のページを通して自分の気持ちを・感情を、ある程度発散できます。でも、数多くの被害者の方は声をあげる場所もなく、一人悩み苦しんでいらっしゃる方が多いのではないかと思われます。
その方々の為に、支援をしたいと考えています。 皆さんにご協力をお願いすることになると思いますが、その節は宜しくお願いいたします。


2001年9月30日 日曜日 23:23:51
 午後板倉町の少年Eが、夕方には少年Cが、日記を持ってそれぞれ一人で来た。
今のところこの二人は、毎月必ず来る。仕事も真面目にやっているようだ。 しかし、彼らの中で事件は確実に過去のことになりつつあるように感じる。 日記の中で、『自分の両親に対しては申し訳ないことをした、これから親孝行をしたい』 と言っている。 では友樹に対して、また、親孝行してくれるはずの息子を殺された私たちに対しては、どうしたいと思っているのだろう。


2001年9月30日 日曜日 0:17:48
 アメリカが無差別テロにより多大な被害を受け、多くの尊い命が犠牲になり、さらに数多くの方々が身体・心に大きな傷を受けました。このような無差別テロは、絶対許されるべきものではありません。 ブッシュ大統領・小泉総理の 「報復攻撃」 策に付いては、賛否両論あると考えます。 私は大切な息子を殺された親として、もうこれ以上人が殺されるのを見たくありませんし、大切な人を殺されて嘆き悲しむ人々の姿も見たくありません。 出来ることなら、平和的解決を切に希望いたします。

 被害者の感情はものすごく揺れ動きます。
加害者に対しては、一生許せないし、友樹と同じ想いを味あわせてやりたいと真剣に考える時もあります。 しかし反面、『これ以上罪を犯して欲しくない』 と思ってしまうこともあります。 友樹の 『死』 を無駄にしたくないから・・・


2001年9月22日 土曜日 22:24:06
 昼間私の弟夫婦が、友樹にお線香上げに来てくれました。
子供二人を実家の母に預けて夫婦だけで来てくれたので、小さな頃の思い出話などで話が尽きませんでした。 『きょうだいってイイナ』 と改めて思えたのと同時に、『きょうだいを殺された娘は、もう一生こんな時間は持てないんだ』 と思うと娘が不憫に思えて仕方ありませんでした。 子供を殺された親も、きょうだいを殺されて残されたきょうだいも、一生悲しみと戦いながら生きていかなければならないのです。

夕方、少年B父子が、保護監察官に伴われて来ました。 4/13 には、すでに少年院を出ていたそうです。の母親と同じように 「行かなくては、行かなくてはと思っていたんですが、なかなか伺うチャンスが無くて・・・」 と言い訳をしていました。 でも、はそれなりに反省はしているように見えました。今日、「私から殴られようが何をされようが、自分が悪いことをしたのだから当然の報いだと思っていた」というようなことを言っていました。 私が「命差し出す覚悟はあるの?」と聞いたところ、「はい」と言いました。「一息には殺さないよ、二時間半かけて友樹が味わった苦しみつらさ全部味あわせてやるよ。」と言ったところ、「それでも良いです。」と答えました。 保護監察官からすでに話を聞いていたらしく、日記も9/1から書いて持って来ました。
 これからの彼の態度を見ていきたいと思っています。


2001年9月20日 木曜日 23:20:32
 今日夕方、少年Aの母親が一人で来ました。
の母親は、供述調書も読んでおらず、今までが他の少年たちに度重ねる暴力を振るっていたことも知りませんでした。他の少年たちが 「から、何の理由もなしに何度も殴られたり蹴られたりしたことがある」 と供述している部分を、少年の名を明かさず読んで聞かせました。 「知らなかったのですか?」 と聞いたところ、「も殴られて帰ってきたことがあり、『殴られることがどんなにつらい事か分かるだろうから、絶対にお前は人を殴ったりしてはダメだよ』 と言い聞かせていたので、まさかそんなことをしていたとは思わなかった。」 と言いました。

「申し訳ありませんでした。」 と泣き崩れるの母親に、「自分の息子がどんなことをしてきたのか、アンタが自分でしっかりと見極める事が大切なんじゃないの?」  「友樹は、どんなに 『帰ってきて欲しい』 と願っても帰ってきてくれないけれど、アンタの息子は帰って来るんだよ。アンタがしっかり教育していかなかったら、また同じような被害者が出てしまうかも知れないんだよ。 アンタもアンタの息子も一生許せないけれど、友樹の死を無駄にしたくないから・・・ しっかりしなさいよ!」

の母親は、「本当に申し訳ないと思って、毎朝家の仏壇にお線香を上げているんです。」 と言いました。 「アンタが自分の家の仏壇に毎日お線香を上げていたとしても、それは家の仏壇でしょ! 友樹の仏壇じゃないんだよ。 本当に申し訳ないという気持ちがあるなら、何度でも何回でも友樹のお墓や友樹の仏壇にお線香を上げに来てください。」 と言いました。

 の母親が帰ったあと、少年Dの母親の携帯に電話してみた、6/11 に母親と来たきりあれから何の連絡もない、今日も呼び出し音は鳴っているのに電話には出なかった。折り返しの電話もない。 何を考えているのか分からない。


2001年9月14日 金曜日 23:56:39
 さいたま保護監察所・観察第二課長のT氏に伴われて、少年Aの母親が来ました。

 4月に少年院を出ているはずの少年Bから何の連絡も無いので、先月末 『さいたま保護監察所』 に電話をしたところ、T氏が9/4に一人で来家しました。その際 T氏には、少年Aは保護監察中に友樹の事件を起こしていることについて保護監察所はどう考えているのか聞きました。保護監察所がもっとしっかり監察・教育をしていたなら、友樹は殺されずに済んだかもしれない。T氏はその点は本当に申し訳ないと頭を下げていました。いまさら頭を下げられても友樹が帰ってくるわけではない。
T氏には、もっと被害者の心情を学ぼうとする努力をして欲しいこと・保護司からの一月遅れの報告書を見るだけでなく、自ら加害少年の状況を監察し被害者とのパイプ役もして欲しいこと・被害者は一日のうちでも感情が目まぐるしく変わること。など話しました。T氏は、の母親や少年Bと連絡を取り、謝罪に来る気持ちが相手にあることが確認できれば、同行して来たいと言っていました。

 そして、今日少年Aの母親を伴ってきたのです。
の母親は、「今まで何度も何度も来たいと思っていた、でも周りの人に会うのが怖くて外に出られなかった。 息子から飯島さん宛に手紙が来たので、持って行かなくてはならないと思い、思い切って今日来ました。」 と言ってからの手紙を持ってきました。
内容は真剣に事件を受け止めているとも思えず、まして本当に反省しているとは思えない内容でした。 被害者に手紙を書きなさいと少年院の職員に言われ、義務的に反省と謝罪の言葉を並べているだけのように感じられました。


2001年9月14日 金曜日 1:43:30
 アメリカでの惨状、信じがたい光景が、連日テレビで放送されています。このHPにもアメリカ在住の方から、たくさん励ましのメール等いただきました。皆さんのご無事をお祈りすると共に、不幸にも犠牲となられた方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

 今日は友樹の月命日です。
このHPを公開してから、たくさんの方から 「何か協力をさせてください」 と温かな言葉をいただきました。たくさんの方の善意を無駄にしないために、『私に何が出来るのか』 ずっと考えてきました。幸い協力をしてくださる仲間にも恵まれましたので、「犯罪被害者による、犯罪被害者・家族を支援する」ことを目的に、NPO法人を設立しようと思いました。まだ準備段階です。都内と関西に事務所を借りる予定です。これから皆さんに、色々協力をしていただければ幸いです。詳しいことが決まり次第御報告させていただきます。


2001年9月8日 土曜日 23:37:36
 今日は娘の20才の誕生日でした。
「今は欲しい物が何もない」 と言う娘に対して、親として何もしてやれませんでした。ただ 『 おめでとう 』 とメールを送っただけ。 それでも娘からは、「ありがとう、心配かけてゴメンネ。」 と返事が来ました。

 私は 「犯罪被害者の会」 の 『関東の集い』 に出席し、ノンフィクションライターの藤井誠二さんや岡村弁護士を囲み、少年法や今の司法制度などの問題点を話し合ってきました。加害者の権利を 『100』 とすれば、被害者の権利は 『0』 に等しい現実があります。加害者の権利を奪えとは言っていません。せめて加害者並みの権利を、保護を、被害者にも与えて欲しいと改めて思いました。


2001年9月4日 火曜日 0:25:33
 ここのところ娘から電話もメールもなかった、毎日 『電話してみようか、今ごろはもう寝ているだろうか』 と、気をもんでいた。 先程思い切って電話した、眠そうな娘の声、『元気でいたくれた』 そう思った瞬間涙があふれて言葉にならなかった・・・
涙声で 「起こしてゴメンネ、風邪とか引いてない? 大丈夫?」 と聞く私に、「ウン、大丈夫だよ」 と娘。
私の宝物、もう失いたくない。 娘だけには、幸せになってほしい・・・もうすぐ20才。